江戸っ子でぃ

長崎県五島市に住む老人が、政治に関する愚痴などを書いています。

施餓鬼(せがき)法要






お盆前になると、色んな行事が、地域ごとにあるんですね~。




ワシの故郷では、昨日(8月7日)、施餓鬼法要が執り行われました。故郷と言っても、幼いうちに離れていたので、地域の行事など、ほとんど知りません。^^;




施餓鬼法要って・・・・。



施餓鬼法


不空訳『救抜焔口陀羅尼経』に基づく修法で、池の畔、樹木の下などの静かな場所で東方に向かい3尺以下の壇を儲けて修する。陀羅尼と五如来(宝勝・妙色身・甘露王・広博身・離怖畏)の名号念誦の加持力によって、餓鬼の罪障を滅し、飢渇を除き、天人道や浄土へと往生させる。 なお餓鬼は夜間に活動するとされるので、日没以降に行う。また吉祥木である桃・柳・石榴の側では行わない。本堂内陣では行わない。灯明をともさない。香華を供えない。鐘を鳴らさない。数珠を摺らない。声高に真言を唱えない。作法終了後は直ちに後ろを向いて振り返らないなど独特の禁忌のある作法を本義とする。これらの決まりは餓鬼が吉祥木や灯明、香華、鐘や数珠の音、大声や人の視線を嫌うことに由来する。 このような施餓鬼法は密教系の修行道場では、行者の修行が円満に成就するようにと毎夜行われる。


ただし中世以降は盂蘭盆行事等と習合したことで施餓鬼は日中に盛大に行われるようになり、上記のような禁忌のない作法が行われようになる。このような法会には餓鬼は直接列することができないので、供養した食物は本義に従って水中や山野に投じて餓鬼等に施すのを常とする。 施餓鬼は多大な功徳があるとして、その功徳を先祖へと回向する追善として行われるようになり、これらから盂蘭盆行事となっているが、両者は混同してはならないとされる。(ウィキペディアより)







ワシの故郷は、真言宗・西高野山大宝寺にお世話になっていますが、昨日の法要も大宝寺の住職さんのお導きで行われました。上記の説明と住職さんの説明には、若干違いがありましたが、そんなものでしょう。(いい加減な、シカリです)





御札を作って待ちます。

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よその地区では、屋外で行われるそうですが、ワシの故郷は集会所で行われます。

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没後3年未満の新しい仏様の位牌が寄せられています。あの世では、新人はお堂の中に入れてもらえないとか・・・。で、外で供養をするらしいのです。ところが、ワシの故郷は、室内で行っています。





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お供えした食べ物などは、まとめて処分されます。法要の後は、振り返らず、持ち帰らず、静かに帰るのがしきたりだそうです。

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準備していた御札に住職さんから何か呪文を書いていただき、それぞれの家の門口に七夕のように飾ります。

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集会所の窓の外から聞こえてくる蝉の声、住職さんのお経を聞きながら、亡くなった母も、このような時間の中で生活していたんだと、つくづく、ふるさと・生活の基盤の意味を考えた一日でした。こんな静かな日々が続くことを強く願います。




次は、お盆本番です。さあ、ますます忙しくなります。頑張ろう!あ、暑い毎日が続いていますけど、我慢せずに、クーラーとかで適度な室温を維持して生活しましょうね。






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