江戸っ子でぃ

長崎県五島市に住む老人が、政治に関する愚痴などを書いています。

殺し合いと快楽のみが、主役の時代へ








外国との流通・交通を制限した江戸時代。明治以来、その時代を「鎖国時代」と呼んできました。しかし、鎖国ではありませんでした。対馬を通して朝鮮半島や大陸と、長崎を通してオランダと、薩摩を通して琉球と、松前を通して蝦夷と、それぞれ交易を行っていたんです。つまり、鎖国ではなく、制限外交をしていたのです。




自らの消化能力に応じて、受け入れるモノ・量を制限する。至極、当然のことと言えます。




徳川家康が作ったもので最たるものは、「江戸」と言う都市。小さな寒村を世界一の100万人都市に作り上げたのです。そして、その基盤は現在の日本の中心都市として生き続けている。





そして、その政策は260年にわたって日本人に平和をもたらしました。その知恵は、その後の政治家には遠く及ばないものです。







パリで同時テロ、120人以上死亡=銃撃に自爆、仏大統領「前例ない」


時事通信 1114()1234分配信


 【パリ時事】パリ中心部のバタクラン劇場と郊外の競技場付近などで13日夜(日本時間14日朝)、複数の銃撃や爆発などの同時テロがあり、フランスの捜査当局筋は14日、AFP通信に対し、少なくとも120人が死亡、200人以上が負傷したと明らかにした。
 このうち、約80人が重傷という。数十人の人質を取って犯人が立てこもった劇場には14日未明(日本時間同朝)、警官隊が突入。一連のテロ事件でイスラム過激派とみられる8人が死亡した。ただ、まだ複数の容疑者が逃亡中の可能性がある。
 オランド大統領は13日、国民に向けて演説し「前例のないテロ攻撃がパリで起きている」と表明。全土に非常事態を宣言し、容疑者の逃亡を許さないため国境の封鎖を命じた。オバマ米大統領も「全人類と普遍的価値への攻撃だ」と非難した。これまで犯行声明は出ていない。
 在仏日本大使館は、14日午前0時(日本時間同8時)現在の情報として「銃撃に巻き込まれた邦人はいないもようだ」と述べた。
 AFP通信によれば、複数の関係者が13日、競技場近くの爆発は自爆テロだと証言した。目撃者によると、劇場に対する襲撃は13日午後10時(日本時間14日午前6時)ごろ発生し、占拠犯はアラビア語で「アラー・アクバル(神は偉大だ)」と叫んで乱射した。容疑者の1人が「オランド大統領のせいだ。シリアに手を出すべきではなかった」とシリアへの軍事介入を非難していたという。
 AFP通信はさらに、劇場で発砲があったほか、劇場付近のカンボジア・レストランも襲撃を受けたと報じた。また、競技場付近では複数回の爆発音が聞こえたという。治安機関筋は、テロ攻撃は市内計7カ所で発生したと述べた。劇場だけで100人が死亡したとみられている。
 競技場ではフランス代表とドイツ代表のサッカーの試合が行われており、オランド大統領が観戦していた。オランド大統領は事件を受け、急きょ内務省に向かい、危機対策室で対応に着手。「犯人に情けは無用」と徹底捜査を指示した。
 仏大統領府は14日、トルコで15日から開かれる20カ国・地域(G20)首脳会議をオランド大統領は欠席すると明らかにした。イダルゴ・パリ市長は住民に対し、自宅から出ないよう要請した。
 フランスでは1月、パリの風刺週刊紙シャルリエブド本社やパリ近郊のユダヤ教食料品店がイスラム過激派に襲撃され、17人が死亡した。さらにパリでは30日から国連気候変動枠組み条約第21回締約国会議(COP21)が開幕するため、仏当局が警戒態勢を強化していた矢先の事件となった。 


最終更新:1114()1525

 




明治以降の日本人が追い求めてきたのは、物の豊かさ、軍事的強大さ。その背景にあるのは、欧米の「多ければよい、強ければよい」という単純思考。考え方の違う相手に対しては、殺すか殺されるかの思考しかできない。




グローバル化という拡大主義は、物の豊かさを徹底して追い求める快楽主義。その快楽主義の裏では、搾取される人々の敗北と屈辱と絶望と死へのあこがれが醸成されていく。



江戸時代、日本人は海外文化を知らずに制限外交をしたのではありません。知り尽くして、交わってはいけない、交わる必要はない、と自制して交流を制限していたのです。



パリでのテロ事件を日本人は、どのように受け止めたでしょうか。「なんて、ひどいことをするんだ」「警備体制を強化すればいいのに」「テロ集団は根こそぎにするべき」などなど・・・・。



イスラム教の中の特殊な人々が起こしているテロだから、日本は関係ない。そう考える人もいるでしょう。しかし、テロを生んでいるのは宗教でしょうか。宗教を生んでいるのは、現実の生活の中での厳しい日々。あるいは、絶望が宗教を生み出し、人々を宗教に導いていると思いませんか?




地上の歴史の中で、宗教が先にあったのではありません。人間の生活が先にあり、混乱があり、絶望があり、宗教と言うものにすがる人々が出てきたのです。と言うことは、特殊な人々の行動と安易に割り切って考えるのは危険だと思いませんか?




安倍政権になって、対テロ戦争への参加の姿勢が明確になっています。勇ましいことです。しかし、実際に、日本でテロが起こるようになったときに、そんなことで済むのでしょうか。彼らの多くは、「死」を恐れるどころか、「死」によって自らの意思を貫徹できたと考える人々です。




ワシは、少なくとも「死」を恐れます。怖いです。不意の死を受け入れることはできないでしょう。自然に老いて、子どもたちに少しだけ迷惑をかけて、見守られて死にたい。



テロの時代には、そのような死は保障されません。普通の死が保障されないということは、普通の生活が保障されないということです。ここで、冷静に考えていただきたい。何の関係もない国のために、人々のために、日本人が普通の生活を奪われるのが「正義」なのでしょうか。どっちもどっち、と言うレベルの戦いに参加するのは、国として国民への責任と言う視点から「正義」と言えるでしょうか。




オバマは絶対正しい」と言えますか?「テロ集団は正しい」と言えますか?




ワシは、こういう人々のことを「どっちもどっち」だと言っているんです。だから、関わりたくないし、近づいて来てもほしくない。皆さんは、彼らの白か黒かでしか考えることが出来ない思考に組するのですか?日本人の覚悟が問われる事態なのですが・・・・・覚悟より、とりあえずの快楽を選ぶのでしょうね~。







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