江戸っ子でぃ

長崎県五島市に住む老人が、政治に関する愚痴などを書いています。

「子育ては母」という思想

本日(24日)付け、長崎新聞うず潮」欄に掲載されましたワシの文章の原文をアップします。ちょっと手を休めて、読んでください。












「子育ては母」という思想                  


 昨年、育児書を読む機会があった。育児書と言っても、父母を対象としたものでなく、祖父母を対象としたもので、子育て支援について詳しく解説してあった。参考となる内容も多かったが、読後感は、なぜかすっきりしなかった。その原因は、本の随所に書き込まれている「お母さんの」「母親の」という言葉の多さへの違和感だった。

 もちろん、昔の私なら気にもせず読み飛ばしていただろう。今でこそ「子育ては母親の仕事」という考えに距離を置いているが、若い頃の私は、口では「子育ては共同で」と言いつつ、現実は「仕事が」などと育児を妻に押し付ける日々。さらに、そのような生活に、さして罪悪感を抱くこともなかった。その全てを当時の母親まかせの世相のせいには出来ないが・・・。

 実は、この母親まかせの考え方、日本古来のものでなく、江戸時代は子育てに父親や周囲の大人も強く関与していた。幕末のイギリス初代駐日公使のオールコックは、「父親が子供を抱いて江戸の町や店内を歩いているのもごくありふれた光景だ」と感嘆の記録を残しており、また、「取上げ親」「乳親」「拾い親」「名付け親」「守親」などの言葉に示されるように、多くの人が子育てに関わっていた。

 このような伝統があるにもかかわらず、明治中期以降、思想家や雑誌などは「子育ては母」という思想を普及していった。その結果、大正から昭和の初期にかけて、子育てに行き詰った若い母親がわが子と死を選ぶ、「母子心中」が激増するという弊害が現れた。

 このことについて、精神科医香山リカは著書『母親はなぜ生きづらいか』の中で、「イエが揺らぎ始めたとき、それにかわるよりどころとして打ち出されたのが母性であった」と述べている。

 今日、そのひずみは児童虐待を生んでいるが、若い人たちが安易に「子育ては母」という思想に組みしないことを、新年の願いとしたい。











なぜ、こうした思想を普及する必要があったのか。それは、明治政府の富国強兵策に関係があります。つまり、男たちを工場労働者や兵隊として狩り立てる中で、家を守る主体として「母性」信仰を作り上げる必要があったのです。











江戸時代には、父親が方針を決め、多くの周囲の人が関わって子育てをしていたのです。最近のなんでも母親に押し付ける考え方は、実は、家庭そのものを社会が都合よく利用するための特殊な思想なんです。












気を付けましょうね。












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