江戸っ子でぃ

長崎県五島市に住む老人が、政治に関する愚痴などを書いています。

懲戒権って、知ってました?

 

 

皆さん、お早うございます。

 

 

五島地方、今日も、曇り空でスタートです。

 

 

 

今日のネタですけど、シカリさんとしては、『やっと、削除されるのか』と言う思いで、このニュースを眺めています。

 

 

何のことかと言うと、民法822条に「懲戒権」と言うのが規定されているんです。

 

 

その「懲戒権」と言う文言が近々削除されるという話しです。

 

 

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第二節 親権の効力

(監護及び教育の権利義務)

第八百二十条 親権を行う者は、子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う。

(居所の指定)

第八百二十一条 子は、親権を行う者が指定した場所に、その居所を定めなければならない。

(懲戒)

第八百二十二条 親権を行う者は、第八百二十条の規定による監護及び教育に必要な範囲内でその子を懲戒することができる。

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児童虐待があるたびに、「しつけのため」と言う言葉が聞かれます。

 

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その根拠が、この民法822条で定められている「親の懲戒権」。

 

 

実は、この822条は、以前は、次のようになっていましたが、2011年(平成23年)に児童虐待防止法の制定に伴って改正されました。

 

 

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(懲戒)

第八百二十二条 親権を行う者は、必要な範囲内で自らその子を懲戒し、又は家庭裁判所の許可を得て、これを懲戒場に入れることができる。

2 子を懲戒場に入れる期間は、六箇月以下の範囲内で、家庭裁判所が定める。ただし、この期間は、親権を行う者の請求によって、いつでも短縮することができる。 

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なんとも、おどろおどろしい法律ですね~。(懲戒場とか、ありもしないのに。参考にした外国には、あったんでしょうね。)

 

 

民法は、明治29年にドイツとフランスの民法を参考として作ったそうですが、当時の日本の家長制を反映している部分もあるのでしょう。

 

 

ただ、当時の参考とした外国の法律や昔からの家長制の影響もあるでしょうが、もう一つ、当時の「富国強兵」と言う国策も影響していたのではと思います。

 

 

なぜなら、江戸時代の日本人は子どもをとても大事にしていたからです。

 

 

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それは、資料によると他国では見られないほどの可愛がり様だったようです。

 

 

江戸末期から明治の初頭に来日した外国人の証言が残っていますので紹介します。

 

 

フツセル(1820~1829年、長崎・オランダ商館勤務)

「私は子供と親の愛こそは、日本人の特質の中に輝く二つの基本的な徳目であるといつも考えている。このことは、日本人が、生まれてからずっと、両親がすべてを子供たちに任せてしまう年齢にいたるまで、子供のために捧げ続ける思いやりの程を見るとはっきりわかるのである」

 

オールコック(幕末の初代イギリス公使)

「赤ん坊はいつも母親の背中に負ぶわれるが、父親が子どもを抱いて江戸の町や店内を歩いているのもごくありふれた風景だ。ここには捨て子の養育院は必要でないように思われるし、嬰児殺しもなさそうだ」

 

ゴロブニン(1811~1813年松前藩収監、ロシア海軍少佐)

「日本人は自分の子弟を立派に薫育する能力を持っている。ごく幼い頃から読み書き、法制、国史、地理などを教え、大きくなると武術を教える。しかし一等大切な点は、日本人が幼年時代から子弟に忍耐、質素、礼儀を極めて巧に教えこむことである」

 

ニコライ(1861年来日、函館ロシア領事館付司祭)

「読み書きができて本を読む人間の数においては、日本はヨーロッパ西部諸国のどの国にもひけを取らない」

 

モース(明治初期来日、大森貝塚発見者、アメリカ人)

「世界中で日本ほど、子供が親切に取扱われ、そして子供の為に深い注意が払われる国はない」

 

イサベラ・バード(明治初期来日、イギリス人)

「子ども崇拝は米国よりも日本の場合がもっとも一般的である。私が思うには、日本の形式が最も良い」

 

 

これだけでなく、江戸時代の教育システムの充実を見れば、子どもが大事にされていた様子がよくわかります。

 

 

全国には、藩校(255校)、寺子屋(1万5千~2万)、郷学、私塾など、現在の教育機関とほぼ同数の教育施設があり、それぞれの希望で利用していました。

 

 

寺子屋の就学年齢や卒業時期は、特に定まっていた訳ではなく、およそ5~6歳で就学し、13~14歳から18歳になる頃まで修学する例が多かったようです。男子限定や女子限定の寺子屋も少なくはなかったが、 男女共学の寺子屋が多数だったそうです。

 

 

ちなみに、嘉永年間(1850年頃)の就学率は70~86%といわれており、イギリスの主な工業都市で20~25%(1837年)、フランス1.4%(1793年)と、外国に比べ就学率が高かったんです。

 

 

これほど、子どもを大事にしていた風潮が、いつしか、「虐待」と言う言葉が日常的に聞かれる社会になってしまった。

 

 

シカリさんが推測するに、高度経済成長の中で、人の移動が激しくなり「家制度」の維持が難しくなり、同時に、世代を超えた「家を継ぐ者を大事にする」と言う思いが伝わらなくなったのでしょうね。

 

 

もちろん、孤立した若い親たちが、孤立しているが故に、いら立ち、急かされるように結果を求めて暴力に及ぶということもあるのでしょう。

 

 

さらに、江戸時代と明治以降での教育の目的の違いからくる「大人」の中味の違いもあるのでしょう。

 

 

様々ないきさつはあるでしょうが、「懲戒権」を削除するという法律改正により、『自分は子どもより上だ』と勘違いした大人が、感情のままに子どもに暴力を振るう根拠がなくなることで喜ばしいことです。

 

 

法制審議会家族法制部会は、次のように改正する見込みとのことです。

 

<監護及び教育をするに当たっては、子の人格を尊重するとともに、子の年齢及び発達の程度に配慮しなければならず、かつ、体罰その他の心身に有害な影響を及ぼす言動をしてはならない。>

 

 

ワシの経験からすると、一度でも手を上げると、心の奥底に残り、暴力を受けた相手同様に自分も傷つきますね。おまけに、効果はない。^^;

 

 

暴力は、どのような事態でも使ってはいけませんね。(昔、勘違いしていたジジイです。)

 

 

 

 

今日も最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。

 

 

今日一日が、皆様にとりまして、素晴らしい一日となりますようお祈りいたします。

 

 

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<2月20日の誕生花>

カルミア

花言葉:優美な女性、大きな希望、野心

<画像は、ネットからお借りしています>

 

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