江戸っ子でぃ

長崎県五島市に住む老人が、政治に関する愚痴などを書いています。

福島原発災害から学ぶこと【豊かな生活】

東日本大震災の被害の全貌すら、まだ、わからない。




被災者の皆さんの生活は、仮設住宅への入居すら、今後、数ヶ月はかかるのでしょう。




まして、生活の再建は数年単位の時間が必要なのです。




ところが、報道各社のニュースは、福島原発事故処理の場面場面を想像し、落胆し、また、推測している。





確かに、原発の対応は国際的問題ですらあるから、注目度は高くなるのも仕方がない。




そんな思いを抱きながら、ふと、なぜ福島に原発が造られたのだろうか、という疑問が浮かびました。


1960年(昭和35年)11月29日 
    福島県から東京電力に対し、双葉郡への原子力発電所誘致の敷地提供をする旨を表明。

1961年(昭和36年)9月19日
  大熊町議会にて原子力発電所誘致促進を議決。

1961年(昭和36年)10月22日
  双葉町議会にて原子力発電所誘致を議決。

1964年(昭和39年)12月1日
  東京電力大熊町に福島調査所を設置。

1971年(昭和46年)3月26日
  1号機の営業運転開始。

<Wikipediaより>


経済成長の波に乗り遅れた福島県が中心となり、関係自治体を巻き込んで誘致合戦をしての誘致だったのです。




この結果、福島県内のいわき市田村市南相馬市広野町楢葉町富岡町川内村大熊町双葉町浪江町葛尾村飯舘村に、電源立地地域対策交付金が毎年交付されることとなったのです。







この他にも、電源地域振興・ 地域活性化事業、原子力等立地地域振興支援事業、福島県核燃料税交付金事業などが、ザクザクと関係自治体に交付されていたのです。もちろん、立地された自治体には固定資産税も入っているわけです。




当然、地域の雇用も拡大したでしょうし、関連企業も定着したでしょう。




つまり、原発の誘致でこの40年間は、ある意味「豊かな生活」が保障されてきたのです。




しかし、当時、原発の誘致に反対する人はいなかったのでしょうか。




そんなことはないと思うのです。福島県が誘致表明したのは、広島・長崎に原爆が落とされて、十数年後のことですから。




核に対する敏感な反応はあったと思います。




新しい技術に対する恐れがあったと思います。




最近では、風力発電を推進する人たちと、人の健康を考えて反対する人がいます。




推進する人達は、いつも何かの御旗を掲げています。




「地域の活性化」「地域経済の成長」「豊かな生活」、そして、最近では「温暖化防止」「自然エネルギーの活用」。




不安や恐れを封印して、それでも豊かさを追い求めてきたのでしょう。




ところで、このような恩恵を受けた地域は、まだ、救われるでしょうが、北茨城市のように何の恩恵にも浴せず、放射性物質の飛散により農水産物の販売が出来なくなった地域もあります。





「豊かな生活」を保障された40年とその後の被害を受ける数年、恩恵を受ける地域の「内と外」の矛盾。









私たちは、何かを造るときに何を推し量って造るべきでしょうか。





何かを満たしたいと言う「欲望」、満たすための「手段」、「手段の限界」、「手段の弊害」。





私たちは、何かを造るときに何を推し量って造るべきでしょうか。









応援クリック(一人1日1回のみ有効です。)よろしくね~♪♪

https://local.blogmura.com/ritou/img/ritou88_31.gif 
にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 離島情報へ
五島情報発信のため「にほんブログ村」に登録しています。応援よろしくね!