江戸っ子でぃ

長崎県五島市に住む老人が、政治に関する愚痴などを書いています。

言葉を捧げる

 

 

皆さん、お早うございます。

 

 

五島地方、今日も、曇り空でスタートしそうです。

 

 

 

 

 

言葉を駆使する機会、目的は、シカリさんが説明するまでもなく際限がないですね。(第一説明する能力がない・・・。^^;)

 

 

自分の想いを伝えようとする言葉。

 

 

『好きよ~、あなた~、今でも、い~ま~で~も~』とか。

 

 

『あのね、昔から思っていたんだけど、君は僕のことをほとんど知らないのに、批判ばかりするね』とか。

 

 

立場上、状況を説明する言葉。

 

 

『君、信号無視したよね』とか。

 

 

『この人は、両手の握力が弱いので、ケアして下さいね』とか。

 

 

まあ、とにかく、色々ある。(結局、そこに落ち着くのか)

 

 

こうした言葉を駆使するにあたって、自分の意志、気持ちに反してでも駆使しないといけないこともある。

 

 

本当に、言葉って、複雑ですね~。

 

 

で、シカリさんは、今日の記事を皆さんに、少しでも理解していただきたくて、底の浅い言葉観をダラダラと述べている。(けなげじゃないですか。^^;)

 

 

何のことと思いますか?

 

 

もう、お気づきでしょうか。

 

 

この人のことなんですよ~。

 

 

 

 

25日、立憲民主党野田元総理大臣が安倍元総理の追悼演説をするって話し。

 

 

この話を聞いたときに、『なんで、あんな人のために』とか思ったシカリさんです。

 

 

ところで、追悼演説って、どんなものか、良く知らない。

 

 

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出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

 

追悼演説(ついとうえんぜつ)は、日本の国会にて、現職の国会議員が物故者になった時に追悼する為の演説である。

概要

本会議場で行われる。演説の日取りは遺族の希望を聞いた上で、議院運営員会理事会で決定する。

中選挙区制選出時代の衆議院議員の場合は、同じ選挙区の対立政党の議員が追悼演説を行うのが慣例だった。小選挙区制導入以降も中選挙区制時代に同じ選挙区で争っていた近隣選挙区の選出議員が追悼演説を行う例が多かったが、平成後期頃になると小選挙区制導入以降に初当選した議員が追悼演説の対象になることが多くなり、この慣例で行うことが少なくなり、同じ政党に所属する議員が追悼演説を行う例も多くなった。これは1998年1月に衆議院議院運営委員会理事会において、遺族の意思を尊重して演説者を決めると申し合わせていることも影響している。

党首経験者クラスの場合は、対立政党党首が行う慣例となっている。ただし、2000年に死去した小渕恵三の場合のようにその慣例にのっとらないこともある。浅沼稲次郎に対する池田勇人の追悼演説は名演説として知られ池田人気の上昇にも貢献した。

演説の呼び名は衆議院参議院で慣例として異なっており、衆議院では追悼演説参議院では哀悼演説と呼ばれている。

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議会人って、色々、ややこしいですね~。

 

 

現職の国会議員が亡くなった場合、国会で追悼演説をするのが慣例なんですね。

 

 

相手が、平の議員であれ、元総理であれ、行われているようですね。

 

 

もっと、身近に理解していただきたく、過去の例を一覧表でもアップしようと思ったのですが、多すぎて止めました。^^;

 

 

それで、今回の件に酷似している事例を紹介しますね。

 

 

 

 

1960年10月12日、日比谷公会堂で開催された自民党社会党民社党3党首立会での演説中に刺殺された日本社会党浅沼稲次郎委員長に対する追悼演説は、池田勇人総理が行っています。(1960年10月18日)

 

 

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< 池田勇人総理大臣 >

 

ただいま、この壇上に立ちまして、皆様と相対するとき、私は、この議場に一つの空席をはっきりと認めるのであります。

 

私が、心ひそかに、本会議のこの壇上で、その人を相手に政策の論争を行ない、また、来たるべき総選挙には、全国各地の街頭で、その人を相手に政策の論議を行のおうと誓った好敵手の席でございます。  

 

かつて、ここから発せられる一つの声を、私は、社会党の党大会に、また、あるときは大衆の先頭に聞いたのであります。今その人はなく、その声もやみました。

 

私は、だれに向かって論争をいどめばよいのでありましょうか。

 

しかし、心を澄まして耳を傾ければ、私には、そこから一つの叫び声があるように思われてなりません。

 

「わが身に起こったことを他の人に起こさせてはならない」

 

「暴力は民主政治家にとって共通の敵である」と、この声は叫んでいるのであります。(拍手)

 

私は、目的のために手段を選ばぬ風潮を今後絶対に許さぬことを、皆さんとともに、はっきり誓いたいと存じます。(拍手)

 

これこそ、故浅沼稲次郎君の御霊に供うる唯一の玉ぐしであることを信ずるからでございます。(拍手)

 

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今は亡き相手のことを『好敵手』とたたえ、相手がかつて言葉を発した風景を描写して見せ、『今その人はなく、その声もやみました。』と突然の死を表現し、『私は、だれに向かって論争をいどめばよいのでありましょうか。』と胸中を吐露してみせ、『暴力は民主政治家にとって共通の敵である』と、議会人としてテロ及びテロリストを『共通の敵』と表現している。

 

 

なんとも、気品のある演説内容だと思いますね。

 

 

(ちなみに、この演説は、池田総理の「場内がシーンとなる演説を」という注文によって、首席秘書官で後に政治評論家となる伊藤昌哉さんが書いたそうです。)

 

 

ひるがえって、今回の相手は、安倍晋三

 

 

いや~、迷惑かけますね~

 

 

言葉で社会像を描き、言葉で戦い、言葉で夢を広げる立場にある人だったにもかかわらず、言葉への信頼を失わせる行為を繰り広げて来た人。

 

 

暴力ではないが、『虚言』で国会の品位も、政治の信頼も破壊した人。

 

 

野田さんも、悩んだようで、17日、自分のブログで、心境を次のように書いているそうです。

 

 

「最期にも立ち会う運命になるとは。安倍氏にスポットライトを当てるための政治人生だ。『かませ犬』みたいだ」

 

 

そうだよね~、あのシーン(党首討論で、安倍につられて「やりましょうよ」と解散を言ってしまった)は忘れられないですよね。

 

 

野田さんにとっては、ある意味、トラウマかもしれないですね。

 

 

にもかかわらず追悼演説を引き受けた。(他にも該当する人が二人いるんですけどね。あの人たち、シカリさんと同じで、すぐに皮肉や嫌味を言ったりするもんで、安心してお願いできなかったんでしょうね。)

 

 

議会人として、慣例を守る、と言うことを重く受け止めていることのあかしとして。

 

 

果たして、野田さんは、どのような言葉を捧げるのだろうか。

 

 

 

 

今日も最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。

 

 

今日一日が、皆様にとりまして、素晴らしい一日となりますようお祈りいたします。

 

 

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<10月23日の誕生花>

ダチュラ

花言葉:愛嬌、偽りの魅力

<画像は、ネットからお借りしています>