江戸っ子でぃ

長崎県五島市に住む老人が、政治に関する愚痴などを書いています。

誰も読まないネタ。『重信房子よ、お前が言うな!「本当の民主主義はどこに」』

 


皆さん、お早うございます。

 

 

五島地方、今日は、曇り空でスタートしそうです。

 

 

 

 

 

今日のネタは、ほとんどの国民にとって、な~~んの影響もなく、利にもならないネタです。本当に、愚痴です。

 

 

タイトルからして、面白くなさそうでしょう。^^;

 

 

さて、主人公は日本赤軍の元最高幹部重信房子。(最高幹部とか、もっともらしい肩書だけど、わずか数十名の組織でしたよ。)

 

 

 

 

この人が、16日、京都市東山区で開かれた集会で講演し「新しい気持ちで再出発したい。みんなと一緒に日本と世界を変えていきたい」と話したそうです。

 

 

まあ、まあ、ここまでは良いんですけど・・・。

 

 

内容に入る前に、この人について少し、オランダのフランス大使館が武装占拠された1974年のハーグ事件で服役し、今年5月に満期出所したお方です。

 

 

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出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

 

重信 房子(しげのぶ ふさこ、1945年〈昭和20年〉9月28日 - )は、日本のテロリスト、新左翼活動家、スパイ。赤軍派中央委員、日本赤軍の元最高幹部である。
ハーグ事件の共謀共同正犯として有罪となり、懲役20年の判決を受けた。東日本成人矯正医療センターなどで服役していたが、2022年5月28日午前8時前に刑期満了で出所した。重信メイは娘。

 

日本赤軍(にほんせきぐん、英: Japanese Red Army)は、1971年5月30日から2001年まで存在した日本の新左翼極左)系の国際武装組織、ゲリラ組織、テロ組織。
1971年に共産主義者同盟赤軍派重信房子、京大パルチザンの奥平剛士らがパレスチナパレスチナ解放人民戦線(PFLP)への国際義勇兵(アラブ赤軍)として結成し、1974年に公式に「日本赤軍」と名乗り、1980年代にかけて多数の武装闘争事件(日本赤軍事件)を起こしたが、2001年に重信自身が解散を表明した。2022年5月時点で7人が国際手配(国際指名手配)中。
赤軍派は世界革命の一環としての日本革命を主張し、国際根拠地論により中東など海外に拠点を置いた。日本国公安調査庁は「テロ組織」と呼んでいる。後継の市民団体はムーブメント連帯(旧連帯)。
なお1970年のよど号ハイジャック事件共産主義者同盟赤軍派の起こした事件、1971年以降の山岳ベース事件やあさま山荘事件連合赤軍の起こした事件である。
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この日の集会は「第16回反戦・反貧困・反差別共同行動in京都」と言うもので、終盤に特別ゲストとして登壇して、先のような話をしたそうです。(英雄視する人たちがいるんだね~。困ったバカたちだよ。)

 

 

続けて、「19歳の時から変革の道を歩み、戦いの中で過ちも良いこともあった。・・・・本当の民主主義はどこにあるのだろうか。政治を変えないといけない、自民党を変えないといけない。私もその1人として参加していきたいと思います」などと発言したようです。

 

 

「19歳の時から変革の道を歩み」・・・そうか~、ワシは、17歳からだったな~。

 

 

って、ことじゃないですってば。

 

 

「本当の民主主義はどこにあるのだろう」????

 

 

あんたが、そんなことを言える立場か?

 

 

いや、言える思想の持主か?

 

 

戦後、日本の民主主義は、確実に定着していっていた。

 

 

労働運動、女性の地位向上運動、消費者運動、部落解放闘争、各地の住民運動、農協・漁協の民主化の取り組み、そして学生運動など。

 

 

ベトナム反戦運動、70年安保闘争の時には、学生だけでなく高校生、中学生まで集会に参加し、全国で集会・デモが開催されていましたよ。

 

 

1965年から1970年までの高揚は、日本が本当に民主国家として国民本位の政治が安定する、と思わせるものでした。

 

 

ところが、その直後の赤軍などを名乗るバカどもの行動で、全ての住民運動市民運動学生運動に、「左翼」「過激派」のレッテルが張られ、自民党勝共連合原理研などに、運動の抑え込みの口実を与え、実際、まるで火が消えるように全国の労働運動、学生運動住民運動が静かになり、逆に、先に書いた自民党勝共連合が大手を振るうようになってしまったのです。(参考:70年代の状況が少しわかる記事です。半世紀前に芽生えていた「崩壊」と「癒着」生む構造 1967(昭和42)年・統一教会対策「父母の会」(サンデー毎日×週刊エコノミストOnline) - Yahoo!ニュース

 

 

いわば、統一教会が伸びる遠因を作ったのは、他でもない、この人たちなのです。

 

 

こうしたバカな連中が学生運動の中で主軸となって行った原因は、1969年1月の東大安田講堂事件にあります。

 

 

あの時に、全国の大学から優秀な指導者たちが東大に集まり、そして逮捕されてしまったのです。

 

 

その後、各大学に残ったのは、比較的に理論武装できていない人たちばかり。

 

 

そうした人々の中で、「派手なことを言ったり、派手な行動をする」ことで目立とうとする連中が出てきました。

 

 

『革命を達成するためには、武装蜂起するしかない』などと。

 

 

もう、この時点で理論的に破たんしているのに、どんどん行動をエスカレートさせていったのです。(詳しくは書く価値もありませんので省略)

 

 

問題は、民主主義社会を目指すのに、どのような手段を取るのか、と言う点の考え方の違い。

 

 

シカリさん達は、あくまで様々な住民運動などが高揚し、選挙で勝って民主主義社会を作ろうというもの。

 

 

でも、中核派革マル派赤軍派などは、武装闘争を主張しました。

 

 

彼らの考え方の根底にあるのは、結果が良ければ手段を択ばずというもの。と言うことは、国民の力をないがしろにする考え方なんです。

 

 

こうした考え方は、「作ってやる」「主導する」など「上から目線」での社会づくりを意味します。

 

 

皮肉なことに、こうした思考パターンは、自民党などの「権力者による統治」、統一教会の「教祖の教えによる統治」の裏返しで、本質的には同じものです。

 

 

こうした思想的に未熟な人々の過激な行動は、日本の民主主義を50年は後戻りさせたと言って良いでしょう。

 

 

その原因を作った張本人が、「本当の民主主義はどこに」などと、良く言えたものだよ。

 

 

まず、自分の犯した過ちをしっかりと見つめ直し、反省する所から出直しなさい。

 

 

 

 

 

今日も最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。
 
 
今日一日が、皆様にとりまして、素晴らしい一日となりますようお祈りいたします。

 


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<10月18日の誕生花>
ベゴニア
花言葉:片想い、愛の告白、親切、幸福な日々
<画像は、ネットからお借りしています>