江戸っ子でぃ

長崎県五島市に住む老人が、政治に関する愚痴などを書いています。

蓮舫さん、辻元さん、国葬欠席で大騒ぎは微妙やで~。

 

 

皆さん、お早うございます。

 

 

五島地方、今日も、晴れ日和になりそうな空模様でスタートです。

 

 

 

 

ワシがブログで書く内容と、国会議員が発する言葉が同列で良いのでしょうか。

 

 

それは、「違う」ですよね。

 

 

なんか、最近、立憲民主党の辻元参院議員と蓮舫参院議員が国葬の案内状の写真をSNSに投稿し、「欠席します」と書いていたそうですね。

 

 

 

 

これについて、ロザン宇治原さんは「僕は正直、いいと思いません。賛成であっても反対であっても、全方位どの角度であっても国葬の招待状を写真に撮ってSNSに上げるという行為は、僕の中では絶対ありません」と指摘をされたとか。

 

 

 

 

また、ひろゆきさんも「人の葬式に行かない人は、黙って行かなければいいだけです。『行きません』とわざわざ言う必要はないと思います。遺族と参列者に失礼です。葬式に行かない人に『行くべきだ』という人は野暮です。弔意を表す、表さない、表し方は、個人の自由です。強制されたものは本心からの弔意ではないです」と意見を述べているそうですが、なるほど、と思う部分もありますよね。

 

 

そうだよな~。

 

 

辻元さん、蓮舫さん、『なんだかな~』な行為ですな~。

 

 

この二人の国会議員は、国民の理解を得るうえで、色んな過ちを犯していると思います。

 

 

まず、人としての作法に反する行為、と思われてしまうことをやっている。

 

 

例えは悪いが、昔は村八分という差別行為が横行していたが、特定の人に対し村で仲間外しにするけど、火事と葬儀の時には特別扱いで協力していたとか。

 

 

*******************************************

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

村八分(むらはちぶ)とは、村落(村社会)の中で、掟や慣習を破った者に対して課される制裁行為であり、一定の地域に居住する住民が結束して交際を絶つこと(共同絶交)である。転じて、地域社会から特定の住民を排斥したり、集団の中で特定のメンバーを排斥(いじめ)したりする行為を指して用いられる。

概要

言語学者である楳垣実が説くところによると、「地域の生活における十の共同行為のうち、葬式の世話と火事の消火活動という、放置すると他の人間に迷惑のかかる場合(二分)以外の一切の交流を絶つことをいうもの」である。葬式の世話が除外されるのは、死体を放置すると腐臭が漂い、また疫病の原因となるためとされ、また死ねば生きた人間からは裁けないという思想の現れともいう。また、火事の消火活動が除外されるのは、他の家への延焼を防ぐためである。なお、残り八分は成人式結婚式出産病気の世話、新改築の手伝い、水害時の世話、年忌法要、旅行であるとされる。

***************************************

 

 

日本の文化などと大仰なことは言わないが、敵も味方もない、離れられない地域集団での定めであり、理屈を超えた真実があると思います。

 

 

こうした昔からの教え・作法を無視する行為が、広く国民に受け入れられないのは、今に始まったことではない。

 

 

二点目の過ちは、国会議員としての立場をわきまえていない行為だということ。

 

 

この記事の冒頭に書いているように、シカリさんが何を言おうと、何を書こうと構いませんよね。自己責任で。

 

 

でも、国会議員の立場は、違います。

 

 

自らの思想信条・政策を発信したり、社会的諸問題への考え方を述べるのは当然として、そこには、踏み越えてはならない一線があると思う。

 

 

それは、自らの思想信条・政策に反対する国民の存在を無視してはいけないということ。

 

 

昔、自分たちと違う立場の人たちに向かって、『あんな人たちに負けるわけにはいかないんですよ』と絶叫した人がいたけど、あの人と同じレベルに落ちてはいけない。

 

 

政治家同士、議論し闘うのは良いでしょう。

 

 

でも、その背後にいる国民を卑下したり敵対したりしてはいけないと思う。

 

 

本気で安倍元総理を慕い、国葬もありがたい儀式と捉える国民もいるということ。

 

 

そうした人々の心情まで否定するようになっては、ちょいとね。(敵ではなく、色んな意味で救うべき対象だと思うのですが)

 

 

間違いの三点目は、視点の違いを理解していないのでは、という点です。

 

 

つまり、国民の中には「国葬儀」を普通の葬儀と同じレベル(感情的)で判断している、という方も多いことが考えられます。

 

 

となると、国民としては、宇治原さんやひろゆきさんのように、「葬式に対して何ということを」という感情に流されるのは仕方がない。

 

 

では、今回の安倍元総理の国葬儀とは何か。

 

 

政治イベントという色彩が強い儀式でしょう。(なにせ、法的根拠も基準もないイベントですからいくらでも解釈できる。混乱するのは仕方がないかな。罪作りな国ですよ。)

 

 

政治家としては、受け止め方の違う国民の想いも包み込んで自らの行動・発言をしていかないと、理解されないのではないかと思います。

 

 

与党の横暴を糾弾するためには、野党としては言うべきことは言わないという点もあります。

 

 

確かにそうですね。

 

 

でも、それは、党として判断を示せば良いだけのこと。(党として統一行動が出来なくても、様々な考え、立場があることを説明すべきでしょうね)

 

 

今は野党でも、何かの間違いで与党になるかもしれないし。^^;

 

 

政治家は、『全国民に責任を持つ』と言えないといけない。

 

 

ひょっとしたら、政治家として自分の考えをはっきりしないと、とか考えたかもしれませんね。

 

 

まあ、それは聞かれた時に話せば良いんじゃないですか。

 

 

弔意を表すとか、立場上参列するとか、どちらも否定するとか、広範囲に他人に明らかにし、第三者に同意を求めるようなことでもない。

 

 

今回の件で、指摘できる部分は、他にもあるのでしょうが、今日はもうやめます。

 

 

微妙な問題で、複雑な立ち位置が絡み合い、書くのも大変だし、支離滅裂の文章を読むのも大変でしょうからね。^^;

 

 

ただ、あと一つ。

 

 

こんな、はしゃぎ過ぎの構成員が出た時に、『オイ、こら、考えて行動せんかい』と、素早く動ける腹の座った上役はいないものかね。

 

 

せっかく、野党にとって、国民にとって良い風が吹き出しているのに、わざわざ逆風にしてしまうじゃないですか。

 

 

 

 

 

今日も最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。

 

 

今日一日が、皆様にとりまして、素晴らしい一日となりますようお祈りいたします。

 

 

ブログ投稿数 2236本目

ブログ投稿日数 2172日(連続投稿日数74日)

***************

<9月14日の誕生花>

シュウメイギク

花言葉:薄れゆく愛、忍耐

<画像は、ネットからお借りしています>