安倍国葬は、統一教会と岸田政権延命のため。
皆さん、お早うございます。
五島地方、今日は、雲の多い空模様でスタートです。
『私自身が国会の場で、テレビ入りで』と張り切っていた国葬に関する説明。
仰々しい前振りの割には、中身のない、大方の予想通りの「オウム返し」。
国民の理解を深めるどころか、国政への不信を深めるばかり。
国葬を決めた理由については、憲政史上最長の在任期間を挙げるなど、これまでの説明を繰り返して、野党からの質問に誠意をもって答えようという姿勢は欠片も見られなかった。
在任期間の長さを理由にするなら、昔、佐藤元総理が亡くなった時点で、在任期間は最も長かった。
しかし、国葬にしていない。
それだけではない。
にもかかわらず、国葬にはしていない。(シカリさんが、佐藤元総理を評価しているというわけではありませんよ。)
シカリさんは、対象がだれであれ国葬は不要だと考えている。
そのうえで言わせてもらうが、昔の政治家にとっての「国葬」と、現代の政治家にとっての「国葬」の重みの違いが現れているんだろうな、と思うんです。
つまり、国の行事の「重み」が、政治家たちには軽くなってしまっている、という側面があるんでしょうね。
なぜ、そうなるのかと言うと、やはり、何事を決めるにしても、多数で押し切り、嘘でも通用する国会になってしまっているということがあるのだろう。
別の見方で言えば、「丁寧な」仕事運びがなくなり、簡単になったばかりに、一つ一つの仕事の重みが感じられない状況。
昔の自民党は、重要なことを決定する時には、各党の代表者に事前に説明し、そのうえで議場での提案、議決と言う流れで仕事を進めていた。
説明を受けて、苦虫を噛みつぶしたような表情で出て来る野党の代表者たちの映像がニュースで流れたものだ。
ところが、現在の自民党は、そうした配慮を全くしない。
多数をかさに、違う考え方の国民の代表を一顧だにせず、いきなり決定してしまう。
「多数」という幻想に囚われて、思考が幼稚化してしまっている。
と言うことで、岸田総理と自民党が、「統一教会との関係を断絶する」と言いながら、統一教会のためになる国葬を行うという喜劇は、このまま開幕するのだろう。
昨日は、自民党国会議員と統一教会の関わりの調査報告も行われた。
自民党所属国会議員379人のうち、なんと179人が何らかの関わりがあるということが分かった。
濃淡の問題とか、認識の問題ではなく、47%の自民党国会議員が統一教会の宣伝材料に使われたという反国家的行動をしていたという事実は、驚愕すべき事柄だ。
文鮮明の教えの一つとして、文教祖の恨(ハン)を晴らすのは「エバ国家日本をアダム国家韓国の植民地にすること」「天皇を自分(文鮮明)にひれ伏させること」と言うのがあるそうです。
平たく言えば、日本を韓国の植民地にするという教義を掲げる統一教会に、自民党の半数の国会議員が加担しているということだ。
深刻な事態にもかかわらず、「認識がなかった」などと我が身の保身しか考えない言い訳を繰り返している。
今回の自民党の調査で、重大な欠点は、野党も指摘しているように、安倍元総理の統一教会との関わりを調べないこと、党籍がないとの理由で細田衆議院議長の関わりを調査していないこと、さらには、議員事務所にいる統一教会のスパイ(秘書)の調査をしていないことだろう。
この調査をやってしまうと、国葬の理由も、決別するというウソも、基礎から崩れてしまうからだろう。
岸田総理がやっていることは、国民不在で、自らの延命と統一教会の延命にしか意味がないことばかりだ。
1955年11月15日に自由民主党は結党されたわけだが、その結党宣言に次のような一文がある。
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政治は国民のもの、即ちその使命と任務は、内に民生を安定せしめ、公共の福祉を増進し、外に自主独立の権威を回復し、平和の諸条件を調整確立するにある。われらは、この使命と任務に鑑み、ここに民主政治の本義に立脚して、自由民主党を結成し、広く国民大衆とともにその責務を全うせんことを誓う。
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さて、自分の選挙のためならと、文鮮明の教義にひれ伏した現在の自民党は、かつての「自由民主党」なのでしょうか。
今日も最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。
今日一日が、皆様にとりまして、素晴らしい一日となりますようお祈りいたします。
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<9月9日の誕生花>
キク
花言葉:高貴、高潔、高尚
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