江戸っ子でぃ

長崎県五島市に住む老人が、政治に関する愚痴などを書いています。

マスコミは、自民党総裁選しか国民に提起できる課題は持っていないのか?

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このところ、テレビをつけて自民党総裁選ネタをやっていないことはない。

 

日本をこれほど低俗な国にした政党のトップ選びに、マスコミが総出でとりかかっている。

 

まるで、『自民党総裁選に興味がない人は、非国民だ』と言わんばかりの様相。

 

こうした番組を作る皆さんは、この数十年の日本の政治を振り返ることはないのでしょうか。

 

繰り返される派閥抗争。

 

総裁選が終わると、何もなかったかのように政策を翻す政治家。

 

自民党政治家たちの時の政権への貢献度に応じて分配される『美味しい富』。

 

国民は、そうした風景を眺めながら、『自助しないのか』とあきらめてしまう。

 

税金だけはキッチリ納めながら、病院にすら入れない事態にも、『仕方がないよ。こんな事態だから』とあきらめている。

 

政治家たちの口から吐き出される政治スローガンは、マスコミによってブラッシュアップされ、まるで、魔法の言葉のような魅力を放つ。

 

でも、なぜか、中央では混乱が1・2年おきに繰り返され、国民の意向に関係なく『政権は倒れる』。

 

国民の中には、『なぜ、自分たちのトップを自分たちで決められないのか』と疑問を抱く人もいる。

 

もっともな疑問なのに、マスコミたちは、見ないふり。

 

おそらく、マスコミの腹の内は、『そんな理想論を報道しても、興味を持つ国民は少ないだろうし、視聴率は稼げない。』という計算があるんだろう。

 

つまり、マスコミは現在の日本人を『自分の国の政治制度を考える力はない』と見下しているんだろうね。

 

とっても、悲しいことだ。

 

空虚な、自民党内の派閥の票読みを報道することに、空疎さは感じないのだろうか。

 

とっても、悲しいことだ。

 

国民が政治に無力感を抱き、徹底的に政治を無視する事態になる前に、もっと、出来ることがあるのではないだろうか。

 

大統領制とか、首相公選制とか、広く議論をしても良いんではないでしょうか。

 

平成13年8月10日に内閣総理大臣官邸で、第2回「首相公選制を考える懇談会」と言う会議が開催されているが、その会議記録の一部を抽出し、掲載します。

 

もし、お時間が許されるようでしたら、読んでみてください。

 

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○これまでの戦後の日本の政治をどう評価するか。勿論、大失敗ではないことは確かだが、もっと良くなる、特に首相の主導力であるとか、短命性であるとか、弱体性であるとかが問題である、という評価はあり得る。


・否定的な評価の場合、その原因は何か。公選制のような制度の改革で改善可能な問題であるのか。日本の政治文化上もう駄目ということであると余り制度をいじっても仕方がない。


・勿論公選制が唯一の方法というわけではないが、例えば政党の強化のようなものが制度的に、つまり法制度をいじることによって容易に可能であるかどうか。そういうことは30年、40年言われてきて、なかなかそれほど容易に実現してこなかった。


・議院内閣制そのものが問題ではない。なぜイギリスではうまくいったが、日本では余りうまく機能しないのかというところが問題。有権者にとって余り有効な政党の選択肢がないこと。投票するときに有権者がどの程度、これは総理大臣を選ぶ選挙なんだという意識で選んでいるかということ。与党の代議士が党首選出の際に誰に投票するかということは分からないこと。しかも、与党の中で相当大きな政策の幅があるというような問題。そのようなところがイギリスとの大きな違いかもしれない。


・首相の場合、憲法論にはあまり出てこないが、政策だけではなく資質、リーダーとしての能力も問われる面があり、その点については、長期的な選挙戦の中で政治家としての資質を試すというような側面のある公選制で、ある程度は改善されるのではいか。

 

イギリスの場合、党首は首相候補であり、どういう首相候補を選ぶかということが、直に次の総選挙における政党の勝敗の帰趨に非常に大きく影響することから議員達は自分の党の党首選びに大きなエネルギーを投入し、また、政党の中でリーダーを選んでいく仕組みに、非常に厳しい緊張感や政治家を評価する仕組みがある。他方、国民の側には、総選挙における1票は単に自分の選挙区の代表者を選ぶということではなくて、どの党、あるいは誰を次の首相に据えるかということに対する意思表示であるという認識が浸透している。首相候補と、それからマニフェストと呼ばれる政権構想と、それから個々の選挙区における議員という、この三つが三位一体を成して総選挙において国民の選択の対象としてはっきりと像を結んでいる。


・これに対し日本の場合、総選挙は、現状ではまだその地域の代表者を選ぶという側面が強く、したがって、その党首、あるいは政党の持っている政策、政権構想よりも、地域の代表者としての固有名詞が非常に大きな比重を持っている。また、長年与党の座にあった自民党の総裁選出規定が総裁任期を2年としていることから、総選挙により国民がその時の自民党総裁を総理大臣にするという民意を表しても、その衆議院の任期中に自民党の総裁の任期が切れれば、国民が全く関与できない空間で自民党の総裁、総理が決まる。そして、自民党における派閥抗争の長い歴史が絡み、総裁を選出するプロセスと世論のずれという問題がある。


・総じて、党首をだれにするか、首相候補をだれにするかということが、総選挙における政党の命運に直結するという緊張感が必ずしもないことに大きな問題があったことから、対策としては、とりあえず従来の政党政治の運用、慣行の中で改められるところを改めていくことで解消できる。一つは4月の自民党総裁選挙であったように政党における党首選出過程の透明化。予備選挙みたいな仕組みを各政党で工夫することにより、ある程度民意に対応したリーダーの選出ということが可能となる。もう一つは、政党の自立的なルールと憲法上の規定との齟齬を、例えば、衆議院の任期中は与党の党則というものを一時停止して、総選挙直後に行われた首班指名で選ばれた首相をずっと与党は支え続けていくという形で解消することにより、総選挙に表われた民意が最大限尊重していく。


・二つ目の問題点は、日本の総理大臣がなかなかリーダーシップがふるえないという点。だから、大統領制みたいな仕組みがいいのだという議論があるわけだが、アメリ大統領制は、非常に厳格な権力の分立を制度であり、大統領は、しばしば議会の操縦に苦労する。