ブログ生活10周年(その3で終わり)
<第一話>
<第二話>
「藩としては、取次ぎをすれば良かったのでは、ありませぬか?」
「なに!話しの取次ぎだけではなかったのか!長崎奉行の役人が来たときに約定書に目を通した者は、いなかったのか!」
「殿、あの折は、私どもは武田隠元殿のお話を聞くのみで、約定書は見ておりませぬ。」
やがて、敷地造成地の近隣の農家からは、鉄の塊のような車の音で子牛が怯え、乳を飲まなくなり死んでしまった、何とかしてほしい。晴れの日には、土埃で野菜が育たなくなった、何とかしてほしい。
次から、次に苦情が寄せられ、盛利親子を始め五島藩の主だった者たちは、その補償作業で明け暮れるようになった。
他でもないアドメニア合衆国の軍人達が、三井楽の食堂に出入りするようになったのである。
やがて、様々な飲食店が出来ていった。
真っ先に出来たのが、居酒屋「ぶんちゃん」という一杯飲み屋であった。続いて、キレイどころを集めたスナック「レイチェル」、和食どころ「よし」。
飲食店ばかりでなく、骨董品などを扱う「古ー事」、漢方医学で治療する「ガマ医院」。
4ヶ月も経つころには、パチンコ店「オニヨメプラザ」、そして、その横には、消費者金融「シカリ」まで出来ていた。
こうした所には、軍人達だけでなく、地元で農地を売り敷地造成に雇用されなかった年老いた農民達や漁業の不漁で補償を受けた漁民達も出入りするようになっていた。
三井楽の昼間は、「オニヨメプラザ」の界隈だけが、やけに人通りが多く、かつてのように、通りで農産物・魚介類を売り買いする人々の姿は、全く見られなくなった。「古ー事」には、軍人達が訪れては珍しいものを買い入れ、アドメニア合衆国にいる家族に送っていた。
パチンコで勝った人たちは、そのまま「ぶんちゃん」や「よし」に入り、一時すると「レイチェル」に流れ込むのである。
やがて、「レイチェル」で盛り上がった人々も自宅へ帰る時間となるのであるが、店の横にある空き地では、まだ帰りたくない軍人や地元の人達が憂さ晴らしに喧嘩を始める始末。したたか打ちのめされ怪我をした飲兵衛どもは、「ガマ医院」に運び込まれるのであった。
いかに屈強な漁師や農民たちも軍人達に手出しも出来ず、ちょっかいを出しては殴られる、ちょっかいを出しては殴られる、の繰り返しであった。
三井楽は、農業や漁業の村ではなく、歓楽街となったのである。
敷地造成が始まって半年もすると工事も終わりに近づいたのか、人夫の数も徐々に減らされ、平らな広い道路のような所に砂と石灰のようなものを混ぜて流し込む作業が行われていた。
これまで造成に関わってきた多くの農民は解雇され、鉄条網の外へと解放されていた。
こうした農民の多くは家を新築したり、先祖代々の墓を新しく作ったりで喜んだものの、仕事が終わってしまうと他にすることも無く、パチンコ店に出入りするしかなかった。
現地で三井楽の状況を把握するために滞在している盛次にとって、この賑わいを手放しで喜んでよいものか、複雑な心境であった。
五島藩家老の七里善喜は、この半年の被害補償額の集計を行い愕然としていた。
赤瀬漁場 5,400両(3網分)
一般農民 50両
一般漁民 600両
報告を受けた盛利は、その額に実感を持てなかった。
「はい。確かに。しかし、内訳はこのようになっておりまして、間違いはございません。」
6ヶ月・・1網の網揚げ回数90回
補償額・・20両×90回×3網=5,400両
「はい。これは半年での被害補償額ですので、現在のペースで推移いたしますと5年も持ちませぬ。」
「そ、そうか。終わるのか。」
「二人とも、これまで色々お世話になった。私ね、年が明けるとアドメニア合衆国に留学しようと考えているんだ。それで、この事務所も今月限りということで、これ退職金だ。受け取ってくれ。」
「・・・・。」
「僕も妻の実家の農場を手伝うことにしたので、やめようと思っていたんですよ。」
「え?これ、そんなに入っているの?」
「この1年数ヶ月の我が社の働きは、それだけの価値があったということだ。すまんが、会社の解散を理解してくれ。幸い、無題君は、奥さんの実家に行くというから、良かったが、西山君は、どうする?」
「・・・、今日は忘年会のことでも話そうかな、なんて、思っていたんですから、会社を辞めて何をするか、なんて言われても・・・。」
それらの全ては、三井楽の鉄条網の中に滑り込んで行くのだった。敷地は、きれいに整地され、長い広い道路のようなものも、すっかり、固められ、そこに降りてきているのであった。
工事が、終わったのである。
やがて、その空から舞い降りてきた銀色の鉄の塊は、整地された敷地に整然と並び始めた。
夕方までには、百を超える塊が整列した。
翌日、盛次は朝一番に盛利への報告に訪れた。
「なに?基地になる?そうなると、毎日、あのような大きな音で悩まされるのか?」
「はい。どのような事を行うのか、詳しくはわかりませんが、訓練も行うとのことで、ほぼ毎日、飛び立っては、降りてくるという繰り返しになるとのことでございます。」
「それは、困るのー。藩内の人々も、不安であろうし、うるさくて昼寝も出来ないではないか。のー、木場、どう思うか。」
「あれだけの音、魚達が怯えて、漁に響くようなことが無ければよいのですが・・・」
スナック「レイチェル」では、江戸から来たという娘も働くようになっていた。
「最近、客が増えてね。なんかね、補償で貰った金が底付いたみたいで、オニヨメプラザで負けた客が来るわけよ。お陰様。」
「あこぎなまねしてるんじゃないの?」
「とんでもない。うちは、良心的な店ですから。それより、あんた名前は?」
「あたし?口説こうってわけ?西山須美子って、言うの。わかった?」
「なんか、聞いたことある名前だけど。パクってない?」
「どうだって、良いじゃない。あたしね、フルーツ好きなのよ、頼んで良い?」
「頼むのは良いけど、最近、やたら高くなってないか?ねえ、ママ。」
「そりゃあ、そうよ。あれだけ外人さんが来て、何でもかんでも買いあさるんだから、高くなるわよ。ほら、補償金を使い果たした人たち、自分ちで食べる米や味噌まで売っているんだって。どうするんだろうね。」
「なんでって、前の会社の同僚がね、ここ、来たことがあるわけ。で、とっても良いとこだって言うもんだから、遊びに来たわけ。しっかし、おじさん、よっぽどアタシのこと気になるんだね。」
「ああ、珍しいじゃないか。店が終わったら、どう、食事でも。」
「奢ってくれるの?だったら、和食どころ『よし』で、刺身食べたいよ。」
「そうか。じゃあ、後で行こうか。しかし、その会社、何していたんだい?」
「そうね。色んな藩の運営のコンサルティングとかやっていたわけ。でもね、2年位前から、ここの藩の調査とか、藩主のブログにちょっかい出したり、訳のわからないことばっかり。でもね。アタシ、気づいたんだけど、アドメニア合衆国の手先みたいな仕事していたんだと思うの。社長が言っていたんだけど、ここの藩主は人が良くて、簡単に乗っ取ることが出来たんだって。」
「何を乗っ取ったんだって?」
「あのね。ブログを利用して、殿様の心を乗っ取ったんだって。」
「さっきから、ブログとか言っているけど、何?それ?」
「あ、そうか。皆さんは、パソコンとか知らないんだ。」
「は?パソコン?」
「ま、いいか。とにかくね、ここの殿様は、うちの社長に心を乗っ取られたわけ。だから、土地を買い取られてしまったでしょう?」
「そうなんか。ワシらには関係ないけどね。お陰で、儲けさせてもらっているし。しかし、あの殿、バッカだなー。補償で潰れるよ。」
「バッカだなー、なんて呑気なこと言ってていいの?この藩がつぶれて困るのは、あんたらじゃないの?」
「困るもんか。藩がつぶれても、おいらは生きていけるし、年貢を上げるなんぞ言い出したら、江戸にでも出て行くさ。」
「なに?また、補償か?」
「はい。三井楽だけでなく、岐宿や玉之浦の漁民も漁が出来なくなったと申し立てが出されております。」
自室に篭った盛利は、習慣なのか自分のブログをぼんやり眺めていた。一時すると、つばき姫が入ってきた。
「うむ。なんとも、迂闊なことじゃった。生活できなくなった農民達は出て行くし、漁民も漁が出来ないと言うし、物の値段は高くなるし、困ったもんじゃ。」
「殿とて、良かれと思ってなされたこと。過ぎてしまったことは、いたし方ござりませぬ。三井楽では、新しい商売が繁盛していると聞いております。」
「確かに。しかし、新しい商売が繁盛しても、他の領民に迷惑を掛けることになってしまった。それに藩の財政が立ち行かなくなるのは、眼に見えておる。そこをワシの力では、どうしようもないのじゃ。」
「殿は、殿なりに尽くされたのです。お疲れならば、後は、盛次に託しては如何でござりますか。」
五島藩第22代当主盛利が退き、第23代当主に盛次がついたのは、この寛永19年のことであった。
(完)