江戸っ子でぃ

長崎県五島市に住む老人が、政治に関する愚痴などを書いています。

おふざけ読物 『ブログ・ハイジャッカー』 (その4)

 

皆さん、お早うございます。

 

 

五島地方、今日も、曇り空でスタートです。

 

 

ところで、シカリさんのブログ、愚痴ネタも枯渇気味で、「何か他の物を」と考えた挙句、10年以上昔(ヤフーブログにお世話になっていたころ)に書いた読物をアップしようと思いつきました。

 

 

江戸時代と現代をゴッチャにしたような、ふざけた読み物です。

 

 

登場人物では、書いた当時のお笑い芸人をもじった人などが登場しますので、若い人たちには理解できないかもしれませんね。御免なさい。

 

 

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「ブログ・ハイジャッカー」(その4)

 

 

12、自慢する盛利

 

 大きな契約を終えた盛利は、先日までの商品不足による不安から解放されて、ホッとしていた。

 

 「つばき姫、今回は大きな仕事が出来たぞ。五島藩は、これまでにない賑わいで、皆の生活も豊かになるぞ。」

 

 「どのように、なるのでございますか?」

 

 「そうじゃなー、三井楽の地で大きな工事が始まる。土地を売った農民達は、そこで働くことが出来るのじゃ。」

 

 「土地を売ってしまった農民は、何人くらいいるのですか?」

 

 「200人はいるかのー。」

 

 「200人もの農民が、農地を売ったのでございますか?」

 

 「ああ、皆、土地を売った金で家を作ったり、墓を作ったりできると大喜びしているそうじゃ。」

 

 「そうでございますか。」

 

 「なにか、疑念でもあるのかな?」

 

 「はい。その者たちは、農地を持っていれば子々孫々まで生活出来るのでございましょう?それで工事が終わった後は、どのようになるのでございましょうか?五島藩で生活出来るのですか?それとも、どこかへ出て行くことになるのでございますか?」

 

 「そこまではわからぬが、皆も喜んでおるし、今、豊かになれるのであるから、良いではないか。普通に暮らしておっても家なぞ作れぬぞ。」

 

 「それで良いのでございましょうか。」

 

 つばき姫は、それ以上続けなかった。

 盛利は、久しぶりにゆったりした気分で自分のブログを見ていた。訪問者も10人程度に戻り、のんびりとコメントを読み、返事を書いていた。

 

 数日後、盛利のブログにこれまでにない名前の書き込みが見られた。

 

 「ん?なんじゃ、これは。ムーディー?ムダイ?・・・<五島藩は、アドメニア合衆国に乗っ取られてしまいますよ。土地の売買契約は、解約したほうが良いですよ。一日も、早く。>・・・アドメニア合衆国?乗っ取られてしまう?ワケのわからんことを書き込む人もおるものじゃのー。」

 

 盛利は、気にも留めずに他の書き込みに返事を書いていた。ここのところ隠元からのコメントは全くなくなっていた。昨日も、先の隠元の苦労に感謝するコメントを送っていたが、返事も寄せられていなかった。

 よほど忙しいのだろう、そう思う盛利であった。

                         

 

13、アドメニア合衆国人登場、姿を見せる基地

 

 五島藩が、大騒ぎになったのは11月中旬のことであった。

 なにせ、幕府の事業と聞かされていたのに、工事に現れたのはアドメニア合衆国の軍人達であった。幕府の関係者といえば、通訳として長崎奉行所の役人数人が同行しているだけであった。

 

 軍人達は、到着すると日をおかず買い取った敷地の周りに鉄条網を張り巡らした。それこそ、あっという間の作業で翌年1月下旬までには、敷地内に宿舎のようなものや途轍もなく大きな倉庫などが作られた。

 2月になると農地を譲った農民達の家々に通訳を伴ったアドメニア合衆国の軍人が訪れて、ある指示を行っていた。

 

 <2月末までに、敷地内の寮に入るように。工事が終了するまでは、誰とも面会は出来ないこと。工事終了までの生活の面倒は、全て、アドメニア合衆国軍が保障する。もちろん、給料も支給する。>

 

 とまどい不安になりながらも、指示に従うしか方法がなかった。他に生活する術がなくなっているのであるから。土地を売った農民のほとんどが、わずかな着替えを風呂敷に包み、妻や子に別れを言って、その鉄条網の中に入っていった。

 

 一方、五島藩主・盛利のもとには、三井楽はもとより、藩内の全ての地区から不安と戸惑いの声が寄せられていた。

 何が始まるのか、そう問われても誰一人答えることが出来なかった。ただ、何かの敷地造成で、皆には迷惑は掛けないと繰り返すのみであった。不安になっているのは、領民達のみでなく、盛利自身が一番不安に怯えているのであった。それは、他でもない先日ブログに書き込みがあったように外国人が乗り込んで来たからである。

 

 「盛次、しばらくは三井楽に滞在し、事情を調べ、事の成り行きを見極めてはもらえぬか。」

 

 「父上。調べるのは結構でござりますが、外国の方々は協力してくれるのでござりましょうか。」

 

 「うむ。長崎奉行の役人も同道しておると聞いておるゆえ、その方々を通じて話しを伺えばよろしいのではないかのー。」

 

 盛利の指示で三井楽に向かった盛次であるが、長崎奉行所の役人を通してアドメニア合衆国の軍人と接触はしたものの、工事の具体的内容はついに聞きだすことは出来なかった。仕方なく三井楽で様子を見守るしかない盛次であった。

 

 3月に入ると三井楽の白良ヶ浜(しららがはま)に、途轍もなく大きな船が入り、その船の舳先からは、次々に大きな鉄の塊の車が下りてきた。その車が通った後は、まるで最初から何もなかったかのように、白々とした土がむき出しになるのであった。

 それらの車は、鉄条網で囲われた敷地の大きな倉庫に入り込んでいった。

 その次の日から、早くも工事が始まった。

 鉄条網の中の畑という畑を、あの鉄の塊のような車で押しなべて行くのである。畑の麦も畑の周りの椿の木も残らず踏み潰し、ただ平らにする作業が始まったのである。

 

 

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14、現実は、約定書には

 

 三井楽でのアドメニア合衆国軍による敷地造成の作業が始まって1ヶ月もしないうちに、五島藩には大きな問題が持ち込まれた。

 それは、雨の日になると、敷地造成を行っている所からの泥水で、海が濁り、数日は漁が出来ないというのである。

 

 その状況については、盛次も把握していた。

 三井楽の海一面が、陸地から流れ込む泥水で、赤く濁ってしまうのであった。

 やがて、その被害は三井楽沖にある赤瀬漁場の大敷網の水揚げにまで及ぶようになってきた。赤瀬漁場は、ブリの漁場として東洋一と言われる大規模な漁場である。その漁場の水揚げが最近になり極端に落ち込んできたのである。

 漁民や網主達は、藩主に救済を求めた。

 

 「わかった。この実情を幕府に伝え、救済してもらうことにしようではないか。」

 

 やがて届いた幕府の回答は、冷たいものであった。

 

 <そちらの問題であるので、自力で解決されるように。解決され次第報告されよ。>

    

 ふたたび、藩内が大騒ぎとなったのは言うまでもない。

    

 「藩としては、取次ぎをすれば良かったのでは、ありませぬか?」

 

 木場半兵衛が、自問するように呟いた。しかし、その言葉に盛利は、いたたまれぬ思いでいた。

 

 「盛次、約定書にはなんと書いてある。」

 

 「・・・苦情、被害の申し出などは五島藩の責任で始末し、その結末を幕府に報告するように・・・えー、それから、・・・この責務は、今後10年間続くものであり、幕府はその費用として五島藩に6万両を差し出すものである。・・・つまり、我が藩の責任で始末するように、とのことでござりまする。」

 

 「なに!話しの取次ぎだけではなかったのか!長崎奉行の役人が来たときに約定書に目を通した者は、いなかったのか!」

 

 「殿、あの折は、私どもは武田隠元殿のお話を聞くのみで、約定書は見ておりませぬ。」

 

 木場半兵衛は、盛利を責めるような口調で言った。他でもない約定書に署名をしたのは、盛利自身であった。隠元からの説明で満足した盛利は、あらためて約定書の中身まで確認しなかったのである。

 

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 やがて、敷地造成地の近隣の農家からは、鉄の塊のような車の音で子牛が怯え、乳を飲まなくなり死んでしまった、何とかしてほしい。

 晴れの日には、土埃で野菜が育たなくなった、何とかしてほしい。

 次から、次に苦情が寄せられ、盛利親子を始め五島藩の主だった者たちは、その補償作業で明け暮れるようになった。

                   (つづく)

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今日も最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。

 

 

今日一日が、皆様にとりまして、素晴らしい一日となりますようお祈りいたします。

 

 

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<1月12日の誕生花>

スイートアリッサム

花言葉:優美、美しさに優る価値

 

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