伊藤和也さんの死を悼みます。
伊藤和也さん、お帰りなさい。そして、ゆっくり、おやすみなさい。
アフガニスタンの子供達のことを思い、現地で農業指導を続け、地元の人たちの厚い信頼を受けていたと言う伊藤さん。
タリバンの一派と言われる犯人グループの理不尽な凶弾で志の中断を余儀なくされて、どれほど悔しかったろう。
また、ご家族のご心痛を考えると、悔しくてなりません。
現地での葬儀には、地元の住民600人ほどが集まったとか、また、誘拐されたときには住民1000人ほどが、犯人グループを包囲したとの報道もされていました。
伊藤さんが、どれほど地元に根付いていたのかを示すものでしょう。
その伊藤さんが、アフガニスタンの復興に参加することとなったときの「志望動機」を表した作文が公表されました。
ぜひ、皆さん、読んでください。
伊藤さんのご冥福をお祈りいたします。合掌
アフガニスタン東部のジャララバード近郊で日本のNGO(非政府組織)「ペシャワール会」(本部・福岡市)ボランティアの伊藤和也さん(31)=静岡県掛川市=が拉致され遺体で発見された事件で、同会事務局は、伊藤さんの「志望動機」全文を公表した。
(以下、原文のまま)
(以下、原文のまま)
ワーカー(現地で働く人)志望の動機 伊藤和也 私がワーカーを志望した動機は、アフガニスタンに行き、私ができることをやりたい、そう思ったからです。 私が、アフガニスタンという国を知ったのは、2001年の9・11同時多発テロに対するアメリカの報復爆撃によってです。 その時まで、周辺国であるパキスタンやイランといった国は知っているのに、アフガニスタンという国を全く知りませんでした。 「アフガニスタンは、忘れさられた国である」 この言葉は、私がペシャワール会を知る前から入会している「カレーズの会」の理事長であり、アフガニスタン人でもある医師のレシャード・カレッド先生が言われたことです。今ならうなずけます。 私がなぜアフガニスタンに関心を持つようになったのか。 それは、アフガニスタンの復興に関係するニュースが流れている時に見た農業支援という言葉からです。 このこと以降、アフガニスタンに対しての興味を持ち、「風の学校」の設立者である中田正一先生の番組、偶然新聞で見つけたカレーズの会の活動、そして、カレーズの会の活動に参加している時に見せてもらったペシャワール会の会報とその活動をテーマにしたマンガ、それらを通して現地にいきたい気持ちが、強くなりました。 私は、関心がないことには、まったくと言っていいほど反応しない性格です。 反応したとしても、すぐに、忘れてしまうか、流してしまいます。その反面、関心を持ったことはとことんやってみたい、やらなければ気がすまないといった面があり、今回は、後者です。 私の現在の力量を判断すると、語学は、はっきりいってダメです。農業の分野に関しても、経験・知識ともに不足していることは否定できません。ただ私は、現地の人たちと一緒に成長していきたいと考えています。 私が目指していること、アフガニスタンを本来あるべき緑豊かな国に、戻すことをお手伝いしたいということです。これは2年や3年で出来ることではありません。 子どもたちが将来、食料のことで困ることのない環境に少しでも近づけることができるよう、力になれればと考えています。 甘い考えかもしれないし、行ったとしても現地の厳しい環境に耐えられるのかどうかもわかりません。 しかし、現地に行かなければ、何も始まらない。 そう考えて、今回、日本人ワーカーを希望しました。 2003・6・15
以前、ワシも詩を書いています。