江戸っ子でぃ

長崎県五島市に住む老人が、政治に関する愚痴などを書いています。

東京五輪でのモヤモヤ感を、長崎市長が読み上げた平和宣言が吹き飛ばしてくれました!!

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田上富久長崎市長


すったもんだの末に開催された東京五輪

 

早速、アンケートが実施され、『開催して良かった』との回答が61%だったとか報道されていました。詳しくは聞いていないのでわかりませんが、おそらく、「良かった」と「まあ良かった」ぐらいを足しての数字でしょう。

 

競技や式典演出に感動された方も多かったのでしょうね。

 

いつもなら、それで良いのかもしれませんが、問題は、『この後』どうなるのか。

 

オリンピックを見て感動して、じゃあ、コロナへの不安もかき消されましたか?

 

そんな人はいないでしょう。

 

そう、そもそも比較するのが無理ですからね。

 

どんな人にも感動はあるし、不安もある。

 

ただ、その不安の元や感動の源は別の物。

 

オリンピック総体としてコロナ感染を悪化させるという不安はあるものの、なかなか、そこまで理性的ではいられない。しかも、簡単に検証が出来ない。

 

国際政治学者の三浦瑠璃さんと言う方は、『今年に入り、「五輪はそもそも出来ないのではないか?」という意見が一時期、強まりましたが、時間の推移とともに「出来る」という世論になりました。つまり、反対論は新型コロナに対する不安を漠然と反映したものに過ぎなかったのではないでしょうか。』と述べているが、不安は常に漠然たるもの。

 

不安の正体を見極めると人間はどうなるのか。ある場合は、敵意に代わり、ある場合は、絶望に代わる。そう相手次第。

 

相手の正体の見えないコロナとの戦いは、不安でしかないのは当然のこと。もう一つ、政権のコロナとの向き合い方も正体が見えない。そこも、大きな不安の要素。

 

まあ、そんな中、昨夜、閉会式が行われたそうだが、様々な感想がある中で『今回の閉会式の中で一番内容が良かったのは、次回パリ五輪の紹介映像だった。』とのご意見は・・・辛いよね~。^^;

 

それもそのはず、我が家ではテレビの番組争奪戦が起き、ワシは民放、山ノ神(妻のことです)は、是が非でも閉会式を見るんだと言い張りNHKへ、シカリさんは戦に負け静かにしていました。すると、間もなく大きないびきが。よほどつまらなかったのか、山ノ神は寝ていましたよ。^^;

 

こんな五輪でも、菅総理小池都知事、橋本組織委員会会長には、IOCから功労章の金章を授与されたとか。

 

授与された皆さんは、さぞかし嬉しかったでしょうね~~。

 

でも、こうしたことは、オリンピックの収支がはっきりして、赤字をどこが負担するのかを明確にしてからにしていただきたかったですね。

 

ただ、数千億円の請求書が届いたときに、この三人はその職にいない恐れがあるから急いだのかもしれませんね。

 

シカリさんのオリンピックについての感想と言うか、なんというか。

 

NHKの真っ黒画面と読み違いの多さには驚きましたね。内容もそうですが・・・。

 

番組の切り替えなのか、放送事故なのかわからない切り替えが日常茶飯事。

 

ビックリだよ。

 

もちろん、いくつかの競技には感動しましたよ。

 

でも、競技への感動を「だから日本は」というすり替え論にゴマ化されるほど馬鹿じゃありません。どの国のアスリートも頑張っていたし、関係者も頑張ってきたんでしょう。それだけです。

 

そうした検証しづらい課題を突きつけられてモヤモヤしている気持ちを、今朝の長崎市被爆76年の式典での田上富久長崎市長の平和宣言が洗い流してくれました。

 

本当に、本当に、なんだか嫌なものから汚されたようなモヤモヤ感を、スッキリ流してくれたのです。

 

素晴らしい内容でした。

 

ぜひ、読んでください。

 

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        長 崎 平 和 宣 言

 

 今年、一人のカトリック修道士が亡くなりました。「アウシュビッツの聖者」と呼ばれたコルベ神父を生涯慕い続けた小崎登明さん。93歳でその生涯を閉じる直前まで被爆体験を語り続けた彼は、手記にこう書き残しました。

 

 世界の各国が、こぞって、核兵器を完全に『廃絶』しなければ、地球に平和は来ない。核兵器は、普通のバクダンでは無いのだ。放射能が持つ恐怖は、体験した者でなければ分からない。このバクダンで、沢山の人が、親が、子が、愛する人が殺されたのだ。このバクダンを二度と、繰り返させないためには、『ダメだ、ダメだ』と言い続ける。核廃絶を叫び続ける。原爆の地獄を生き延びた私たちは、核兵器の無い平和を確認してから、死にたい。

 

 小崎さんが求め続けた「核兵器の無い平和」は、今なお実現してはいません。でも、その願いは一つの条約となって実を結びました。

 人類が核兵器の惨禍を体験してから76年目の今年、私たちは、核兵器をめぐる新しい地平に立っています。今年1月、人類史上初めて「全面的に核兵器は違法」と明記した国際法核兵器禁止条約が発効したのです。


 この生まれたての条約を世界の共通ルールに育て、核兵器のない世界を実現していくためのプロセスがこれから始まります。来年開催予定の第1回締約国会議は、その出発点となります。


 一方で、核兵器による危険性はますます高まっています。核不拡散条約(NPT)で核軍縮の義務を負っているはずの核保有国は、英国が核弾頭数の増加を公然と発表するなど、核兵器への依存を強めています。また、核兵器を高性能のものに置き換えたり、新しいタイプの核兵器を開発したりする競争も進めています。


 この相反する二つの動きを、核兵器のない世界に続く一つの道にするためには、各国の指導者たちの核軍縮への意志と、対話による信頼醸成、そしてそれを後押しする市民社会の声が必要です。

 

 日本政府と国会議員に訴えます。
 核兵器による惨禍を最もよく知るわが国だからこそ、第1回締約国会議にオブザーバーとして参加し、核兵器禁止条約を育てるための道を探ってください。日本政府は、条約に記された核実験などの被害者への援助について、どの国よりも貢献できるはずです。そして、一日も早く核兵器禁止条約に署名し、批准することを求めます。


 「戦争をしない」という日本国憲法の平和の理念を堅持するとともに、核兵器のない世界に向かう一つの道として、「核の傘」ではなく「非核の傘」となる北東アジア非核兵器地帯構想について検討を始めてください。

 

 保有国と核の傘の下にいる国々のリーダーに訴えます。
 国を守るために核兵器は必要だとする「核抑止」の考え方のもとで、世界はむしろ危険性を増している、という現実を直視すべきです。次のNPT再検討会議で世界の核軍縮を実質的に進展させること、そのためにも、まず米ロがさらなる核兵器削減へ踏み出すことを求めます。

 

 地球に住むすべての皆さん。
 私たちはコロナ禍によって、当たり前だと思っていた日常が世界規模で失われてしまうという体験をしました。そして、危機を乗り越えるためには、一人ひとりが当事者として考え、行動する必要があることを学びました。今、私たちはパンデミック収束後に元に戻るのではなく、元よりもいい未来を築くためにどうすればいいのか、という問いを共有しています。
 核兵器についても同じです。私たち人類はこれからも、地球を汚染し、人類を破滅させる核兵器を持ち続ける未来を選ぶのでしょうか。脱炭素化やSDGsの動きと同じように、核兵器がもたらす危険についても一人ひとりが声を挙げ、世界を変えるべき時がきているのではないでしょうか。 


 「長崎を最後の被爆地に」


 この言葉を、長崎から世界中の皆さんに届けます。広島が「最初の被爆地」という事実によって永遠に歴史に記されるとすれば、長崎が「最後の被爆地」として歴史に刻まれ続けるかどうかは、私たちがつくっていく未来によって決まります。この言葉に込められているのは、「世界中の誰にも、二度と、同じ体験をさせない」という被爆者の変わらぬ決意であり、核兵器禁止条約に込められた明確な目標であり、私たち一人ひとりが持ち続けるべき希望なのです。


 この言葉を世界の皆さんと共有し、今年から始まる被爆100年に向けた次の25年を、核兵器のない世界に向かう確かな道にしていきましょう。


 長崎は、被爆者の声を直接聞ける最後の世代である若い皆さんとも力を合わせて、忘れてはならない76年前の事実を伝え続けます。

 被爆者の平均年齢は83歳を超えています。日本政府には、被爆者援護のさらなる充実と、被爆体験者の救済を求めます。


 東日本大震災から10年が経過しました。私たちは福島で起こったことを忘れません。今も続くさまざまな困難に立ち向かう福島の皆さんに心からのエールを送ります。


 原子爆弾によって亡くなられた方々に哀悼の意を捧げ、長崎は、広島をはじめ平和を希求するすべての人々とともに「平和の文化」を世界中に広め、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くしていくことを、ここに宣言します。

 

2021年(令和3年)8月9日
長崎市長   田 上 富 久