江戸っ子でぃ

長崎県五島市に住む老人が、政治に関する愚痴などを書いています。

三つ

教育問題は、いつの世も関心事のトップではないだろうか。

今の国会でも、教育再生がどうのこうのと騒いでいたが、

再生すべきは、国会の機能ではないかと思うのは、私だけ?


ところで、江戸の教育方針は、

「三つ心、六つ躾(しつけ)、九つ言葉、十二文(ふみ)、

十五理(ことわり)で末決まる。」と言う言葉に象徴される。

生育段階に応じて教育し、バランスの良い人間に育てること

を教えている。


最近では、十分に歩けないような子供を色んな塾に通わせる

姿が見受けられる。しかし、江戸の親達は、育て方にタイミ

ングがあることを知っていたらしい。


「三つ心」とは、数え年三歳までに、人間の心の糸をしっかり

と張らせるようにしないと、糸が(つまり、心が)かたくなっ

てしまう、ということを教えている。

今でも、よく言われる「三つ子の魂、百まで」と通じるもの

だろう。



では、言葉もよく理解できない幼子に、どうやって教えるの

か。

「親のしぐさ、日々の行動をみせ、みずみずしい稚児の感性

に訴え、見取らせ、見習わせていた。」越川禮子の著書には

そう記していた。

さらに、「子どもは、親のいうとおりにはならない。親のした

とおりになる。」とも。まさに!

教えると言うより、親自身を観察させ、他人にあわせ、自然

に触れさせることこそが、この時期の子どもの心に糸を沢山

張らせることになるのだろう。



親達は、様々な希望を子ども達に託し、自分では、到底出来

そうもないことを、子どもにさせようとする。しかし、その

ギャップに子ども達は気づいていて、時として反感に繋がって

しまう。もちろん、子ども達の好奇心は旺盛で、可能性は大き

い、親のスケールで測れない部分が多い。しかし、基本は親

の生き方、と言うことだろう。

「物こころつくころには、おとなたちのあいだで静かに我慢する

ことを覚え、・・・」が幼児期の完成された姿なのだろう。



こうした、幼児の時期の教育については、「ラッセル教育論」の

中でもふれられている。いくつか、引用する。


「やがて赤ん坊は、身体の苦痛を感じるからではなく、快楽が

ほしいために泣くようになる。これこそ赤ん坊の知性の最初の

勝利の一つである。」


「ことに生後1年間は、規則正しいこと、きまった手順というこ

とが最も大切である。」


「生後1年間は、決してしかってはいけない。また、そのあとも、

しかることは非常に控えめにしなければならない。ほめるほうは

害はすくない。」


「うまれたばかりの赤ん坊でも、将来この世でしかるべき位置

を占める人間として、尊敬をもって扱うがいい。」



江戸時代には、このような西洋でも通じる普遍的教育理論が

確立されていたのである。そして、それを親から子へ、子から

孫へと「家」の守りごととして引き継いでいたのだ。

しかし、明治という時代にこうしたものが壊され、「知識」

「科学」「効率」「経済」などが優先される社会になってしま

ったのである。


その結果、今、日本では子どもを育てるべき親達が「モンスター

アレント」と呼ばれるようになり、教育できない親になって

しまっているのである。ただただ、要求するだけのモンスター

に、なってしまっているのである。

悲観してばかりでは、どうしようもない。今のうちに、江戸の

知恵を復権させるしかない、と思うのだが。


【参考図書】
 越川禮子
 商人道「江戸しぐさ」の知恵袋
 講談社α新書

 バートランド・ラッセル
 ラッセル教育論
 岩波文庫

 中須川シカリ著
 二十一世紀の赤坊達よ(エッセイ部分)
 eブックランド
 http://www.e-bookland.net/gateway_a/index.asp
 電子出版です。是非、検索してください。