江戸っ子でぃ

長崎県五島市に住む老人が、政治に関する愚痴などを書いています。

江戸しぐさ(三脱の教え、年代しぐさ)

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 現代は、生きづらい社会だと言われています。

 原因は、色々あるのでしょうが、要は、一人ひとりが、どのような生き方をすれば変わるのか考えることではないでしょうか。

 社会システム上の問題であれば、政治経済のあり方を考える必要がありますし、人と人の関係に問題があるのでしたら、付き合い方を考えれば良い。

 江戸と言う社会は、寒村だった所を徳川家康が長い年月をかけて造り上げた都市。

 そこには、色んな所から人が連れてこられ、様々な仕事・システムが作られたそうです。そして、そこで生きる人々のなかの商人達が造り上げたのが「江戸しぐさ」でした。

 潤いのある社会の第一歩は、そこに住む人々がお互いを思いやる心持ちで生きることだと思います。
 「江戸しぐさ」中から、何回かに分けて、引用させていただきます。
 どうぞ、参考にしてください。



【引用文献】
越川禮子著
商人道「江戸しぐさ」の知恵袋
講談社α新書

= 三脱(さんだつ)の教え =
 
 「江戸しぐさ」では、初対面の人に年齢、職業、地位を聞かないルール、触れてはならないしきたりだった。江戸幕府は、士農工商という身分制度をしいていたが、江戸末期になると、経済力の差から、武家の権威が落ち、あまり身分制度を意識しない傾向が出てくる。三脱の教えはこうした背景の中で生まれた。


= 年代しぐさ =

 志学(十五歳)、弱冠(二十歳)、而立(三十歳)、不惑(四十歳)、知命(五十歳)、耳順(六十歳)のしぐさがそれぞれあった。
 江戸の町衆は、年相応のしぐさを互いに見取り合って、文化的、人道的に暮らしていた。たとえば歩き方にしても、志学の代は駆けるように歩き、弱冠の代は早足、而立の代は左右を見ながら注意深く歩いた。志学の代でぐずぐず歩いていると、弱冠の代がたしなめ、不惑の代が若いつもりで駆けたりすると、腰を痛めるといわれた。
 耳順(還暦)の代の「江戸しぐさ」は、「畳の上で死にたいと思ってはならぬ」「おのれは気息奄奄(えんえん)、息絶え絶えのありさまでも、他人を勇気づけよ」「若衆を笑わせるよう心がけよ」だった。
 60代になっても、自分のことしか考えない人が多い今日この頃。

 江戸の人々の思慮深さと比較すると、お恥ずかしい限り。。。。
 
 気をつけねば!

 どうか、笑ってください!(ち、違うか~)^^;