ブログ生活10周年・・・で?・・・読み物でもアップします。
ある日、五島藩主・盛利のブログにはこれまでにない訪問者が訪れていた。
これまで、1日に10人程度の訪問者だったが、この日は、なんと200人も訪れていたのである。
盛利も家来達も大喜び。
だが、そこには大きな仕掛けが・・・。
「どうじゃ、これは大したものじゃ。余がアップしておった写真がよかったのかのー。」
「殿、それもございますが、殿の文章がよろしかったのではござらぬか。」
「そうか。余の文章もよいか。どうじゃ、つばき姫。大したものであろう。」
姫は、何も答えることはなかった。
つばき姫にとって、盛利がブログに熱中することに不満はないものの、手放しで喜べるようなことではなかったのである。
盛利が、ブログを始めたのは2ヶ月前。
それまでは、生活も不規則でパチンコ三昧。
それというのも五島藩は、城も無い小さな藩で、これと言ってすることもなかったのである。
つばき姫に小遣いをせびっては、1日に1両も2両も使い果たし、挙句の果てには、五島藩伝来の掛け軸を家来に持たせて質屋に入れる始末。
こうした盛利の放蕩ぶりに業を煮やした姫は、ついに切れた。
「殿は、米も作りませぬ、魚も釣りませぬ。私どもの生活費は、領民からいただいた年貢でまかなっているものでございますぞ。それは、よくご存知のはずでございましょう。それにもかかわりませず、殿の一日は、パチンコ三昧。姫は、領民に申し訳が立ちませぬ。どうか、もそっと世間のことをお勉強なさりまして、藩のために、領民のために、なにとぞご活躍くださりませ。」
これが、2ヶ月前のこと。
まさか、自分のブログを誰かにコントロールされているなんて、誰だって、考えもしないだろう。
これまで、自らの意思で何かに挑戦するということもなかった盛利は、姫から注意を受けたからといって、変わりようもない様子だった。
「父上、インターネットでも始めてはいかがですか。あちこち、お出でにならなくとも、世の中のことが手に取るようにわかるのですよ。」
早速、盛次のパソコンを借りてインターネットというものを体験することとなった盛利。
「この、ヤッホーの一覧にブログなどというものがあるが、これはなんじゃ。」
「ほう、巷の人々は、日記を書いておるのか。賢いものじゃな。どのようにすれば、見ることができるのかな。」
盛次は、ブログの利用手続きを一通り済ませ、いつでも盛利が参加できるように準備した。
「なんじゃ、このアイデーナンバーとかパッスワードは、いつも打ち込む必要があるのか。わしは、物覚えが悪いからのー。」
「父上、それは大事な番号ゆえ、どこぞに書き留めておかれよ。さすれば、お忘れになられても、いつでも見ることができますゆえ。」
ふんふん、と素直に盛利は、メモをしている。これまでにない態度であった。やがて、ブログに見入ったのか、何も言わなくなり、少し暑いのか扇子でパタパタと胸元をあおいでいる。
「のう、盛次、このルピア姫なるお方は、とても苦労をされているようじゃのぅ。こうやって読んでおっても涙が出てきそうじゃよ。ブログというものは、読むことは出来ても何も手伝うことは出来んし、なにか、歯がゆいものじゃのー。」
「確かに。ただ、お互いのブログを読んだり、意見を書き込んだりしているうちに、意気投合したものたちは、オッフ会なるものをもようし、会いに出かけては、世間話をしたり、お茶なぞを一緒に飲んだりしているよしにございます。」
「そうか、オッフ会か。わしが行っても良いのか?」
「それは、ブログでの長い付き合いで信用されないと難しいのではないかと思いますが。」
「なるほど、信用か・・・。わしは、母上にも信用されておらんからのー。」
「どうじゃ、盛次、ほれ、これがわしのブログじゃ。」
なんと、盛利はひそかに自分のブログを開設していたのである。
「なかなか、人が訪れてくれるものではないのー。じゃが、のう、この武田隠元とか申すもの、たびたび来ては、何かしら声をかけてくれているのじゃ。ありがたいのー。」
盛次は、父のブログ開設に驚くばかりで、誰がコメントを残してくれたかなど気にも留めなかった。
いろんな人が訪れ、いろんな人がコメントを残してくれる。
ブログとして、当たり前のことであるし、武田隠元なるものが何者であるか、この時点では、誰も知らないし、誰も気にしていなかったのである。
場所は変わり、ここは江戸。時は、寛永17年1月。
「すまんが、まだ、君達にも話すことは出来ないんだ。」
すると、秘書の西山須美子が心配そうにつぶやいた。
「私ゎ、なんとなく、そのルート知っているわけよ、で、ちょっと、気になるわけ。でも、これも仕事だし、なんとか処理しないといけないわけよ。でも、でも、やっぱり怖いルートだって思うわけ。え?怖がっているのは誰だって?あたしだよ!!」
「パッパパヤーパー、パッパパヤーパー、パヤパー、パッパパヤーパー。私は~、五島藩に~行きます~~。五島藩に~行って~~、五島藩の事を~調べます~~。五島藩の~昔から~~、現在のことまで~~、調べて来ます~~。そして~、それを~~A4の用紙に~横書きにして~~、レポートとして~~、社長に報告します~~。」
「あんたは、呑気だよ。なんでも上から下に流したり、左から右に流せば良いってもんじゃないんだよ。」
そんな社員達のやり取りを聞きながら、社長の隠元は悩んでいた。いわゆるコンサルタン業を営んでいる隠元にとって、毎月の営業に困るようなこともなく、それなりに成果は収めている。二人の社員と自分の生活を保障するには、現在のレベルの事業で十分といえば十分であった。
今回のプロジェクトが成功すると、それこそ見たこともない巨額の資金を手にすることが出来る。しかし、コンサルタント業として扱ってきたこれまでの案件とは、まったく性格の違う事業であり、その結末は到底自分たちの手の届くレベルのものではないことはわかっていた。それだけに、得体の知れない不安が胸をよぎるのであった。
「隠元、元気にしているかい?ちょっとしたビジネスの話があるんだけど、会ってもらえるかい?」
「ああ、久しぶり。お前の言うことだから、何時でもいいよ。」
「おい、おい、ちょっと早過ぎないかい?」
「ああ、いや、すまん。断られても来るつもりで、昨日、日本には来ていたんだよ。昨夜は、新宿2丁目で楽しんじゃったよ。」
隠元はそう言うと、社員には何も告げずボッシュを連れて出て行った。
隠元が、帰ってきたのは4時間ほど過ぎた、もうすっかり夕暮れた頃だった。
「社長、私達帰りますね。」
そう秘書の西山が告げても、隠元は振り返ることもなかった。
「この前の話だけど、一箇所だけ該当する場所が見つかったよ。それで、正月早々にでも現地調査をかけようと思っている。そこで、一つ心配なのは、幕府を説得することが出来るのか、ということだけど・・・」
ボッシュの約束で少し安心したのか、隠元は久しぶりに二人の社員を飲みに誘った。
飲み会のときは、いつもこの調子で、二人とも周囲のことなど無頓着。完全な自己中であった。そして、この時だけは隠元はこの二人を採用したことを悔やむのであった。
年が明けて寛永17年正月4日。
「西山君、最近無題君を見ないが、どうしたんだい?」
「ほおー。で、お土産は。」
気まずかったのか、レポートを社長の隠元に渡すと無題は、さっさと帰ってしまった。
6、殿のブログ的生活
翌日、出勤してきた無題は、隠元にポツリと言った。
「五島藩の殿は、最近ブログを始めたとか、聞きましたけど。」
「そうでございますか。きっと、父上と同じようなお考えのお方なのでございましょう。」
その数日後、再び、盛次は盛利の部屋に呼ばれていた。
「どうじゃ、ブログを使って藩の活性化が出来ないものかのー。」
盛利は、その日のブログにさっそく藩の活性化とホームページの開設について、アイデアを求める記事を書いた。
その記事を読んだ江戸の隠元は、小躍りしていた。
「西山君、無題君にも伝えてくれないか。このブログをお祭りしてくれないか。」