これは差別につながるんでしょうか。六曜カレンダー
確かに、行政が配布するカレンダーとか広報紙の行事予定などに「六曜」を記載したのを見たことはないですね。
大分県佐伯市が合併後の市制10周年を記念して作製した冊子「佐伯市10年ダイアリー」に「大安」「仏滅」などの「六曜」を記載していたため市内全世帯への配布を見送った問題で、西嶋泰義市長は6日、おわびとお断りの文書を添えて配布することを明らかにした。
冊子はA5判400ページで、市が2500万円をかけて5万冊を作製。2016年から25年までの日記を書くスペースに六曜を記載していた。昨年12月25日から約3万3600世帯に配布予定だったが、市役所内から指摘があり、配布を見送っていた。
おわび文を添えての配布は市長判断で決めたといい、西嶋市長は「ひとえに私の人権問題に対する認識不足。市の出版物に六曜を掲載するのは適切ではないが、ダイアリーはぜひ市民の皆さまに活用してほしい記念品」と釈明している。
最終更新:1月7日(木)16時11分
ちなみに、どのような指摘があったかと言うと、次のような指摘だったらしい。
「科学的根拠に基づかない迷信や因習で、偏見や差別など人権問題につながる恐れがある」
確かに、六曜については、その発祥もあやふやで、したがって根拠も不明確なので、先に書いた通り、行政関係の文書で見たことはないですね。
でも、な~~んか気にしちゃうのはワシだけでしょうか?
先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口
個人的な感想は、どうでも良んでしょうが、行政としては、確かに軽はずみでしたね。
ただ、指摘の中の「偏見や差別などの人権問題につながる恐れがある」との部分が、いまいち理解できないのです。昔からの根拠のない因習を引き継ぐことが、そうした恐れを招くということでしょうか。
確かに、部落差別なんか、その集落の出身と言うだけで差別されるなんて、理不尽にもほどがあるし、許されることではないと思う。障がい者に対する差別などは、障がいに対する理解不足がきっかけとなっている点もあります。
しかし、差別を生む根本的な力は、もっと別の所にあると思います。排除・忌避しなければ守れない自分、差別しなければ保てない自己の安寧、イジメなければ守れない自らの立場、など、差別する人々の生々しい自己保身の力学だと思うのです。
同時に、そうした自己を見つめることが出来ない未熟さ、気づいても誤魔化してしまう弱さこそ、差別の根源と言えるのではないかと思います。
階層社会の中で、つい自分より弱い人、劣っていると思われる人を探してしまう醜い心。集団の流れに乗って、イジメて自分の立場を守ろうとする卑怯な心。きつい家事・育児を女性にだけ押し付け自分の安寧だけを守る男性の利己心。鬱屈した生活の不満を在日韓国人排斥で憂さ晴らしをする哀しい心。こうした醜い己の心に気づけば気づくほど、認めたくなくて一層差別をしてしまう弱い心。
こうした現代を生きる人々の差別する、イジメる本質を隠して、「因習が悪い」「部落と言う名称を使ってはいけない」などという目隠し手法で、差別やイジメを抑え込むことが出来ると考えるのは、幼稚で、それこそいつまでも差別やイジメを野放しにしている要因になっているのではないでしょうか。
差別する、イジメるのは、今を生きている人々の欲求にあるという視点での人権感覚を養っていただきたいものです。
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