江戸っ子でぃ

長崎県五島市に住む老人が、政治に関する愚痴などを書いています。

安保法案と安倍君への元首相らの声









安倍ちゃんは、先輩方の意見に耳をかすかな~。







まずは、羽田元首相の意見。









安保法制 羽田元首相の提言「安倍首相から日本を守れ」


産経新聞 812()1728分配信


 安全保障関連法案に反対するマスコミOB有志が発表した羽田孜元首相の提言は次の通り。

 「戦争をしない」 これこそ、憲法の最高理念。平和憲法の精神が、今日の平和と繁栄の基礎を築いた。 特に、9条は、唯一の被爆国である日本の「世界へ向けての平和宣言」であり、二度と過ちを繰り返さないという国際社会への約束でもある。海外派兵を認める集団的自衛権は、絶対に認められない。
 安倍首相から日本を守ろう。


最終更新:812()1728

 





羽田さんは、意見と言うより退場勧告ですね。







 続いて、細川元首相の意見です。








安保法制 細川護煕元首相の提言「立憲主義への畏敬の念欠如」


産経新聞 812()1822分配信


 安全保障関連法案に反対するマスコミOB有志が発表した細川護煕元首相の提言の主な内容は次の通り。

1、安保法制関連法案は廃案にすべき
 廃案にすべきだと考える理由は、ひとつは法案の内容の点からであり、ひとつは手続きの点からである。

2、内容上の問題点
(1)今の日本の発展と国際的地位は平和憲法のたまもの
 戦後日本の発展と国際的地位の獲得は、平和国家としての立場によってもたらされたものであり、かつ平和国家日本は、何よりも憲法9条をもつ平和憲法によって実現された。われわれは、平和憲法をもったことの意義を十分わきまえなければならない。
 憲法9条をもつ平和憲法を変えることは(解釈改憲によるとしても)、世界に確立した平和国家日本のイメージを損なう危険があるばかりでなく、日本人自身にとっても、その目指すべき将来の国家像を混乱させる。

(2)集団的自衛権の必要性への疑問
 安倍首相は、テレビ番組で、集団的自衛権について、隣の「米国家」が火事になって「日本家」に延焼しそうになったときに、日本の消防士が消火に行くようなものだと模型を使って説明した。しかし火災の消火と集団的自衛権の行使は、全く異なる。消火は人助けで美談の部類だが、集団的自衛権の行使は第三国に武力を行使することであり、その国の人員を殺傷し、場合によってはわが国の人員にも犠牲者が出ることになる。国民に対して集団的自衛権の行使を火災の消火の美談に譬(たと)えて説明することは、武力の行使や戦争の悲惨さから目をそらさせることになる。
 また安倍首相は、集団的自衛権の行使が必要な事例として、朝鮮半島有事の際に韓国から避難する日本人を乗せた米艦を自衛隊が守る場合や、原油輸出の要衝であるホルムズ海峡がイランによって機雷封鎖された場合を挙げている。しかし韓国から避難する日本人を米艦で輸送するというのは、かつて米国から断られた案であるし、そもそも日本人を護(まも)るのなら個別的自衛権の範囲で済む。イランについては、核開発疑惑に関わる欧米との合意が成立して緊張緩和に向かうことになったし、イランのナザルアハリ駐日大使も「ホルムズ海峡の封鎖がなぜ必要なのか」と疑問を呈している。
 結局、これだけの無理を押し通して、集団的自衛権の行使を認めなければならない理由は不明であり、もし個別的自衛権によって対処できない具体的事態があるというのであれば、冷静な環境のもとで幅広く国民の意見を取り入れつつ、手続きを尽くして検討すべきである。いずれにしても、日本は、海外での武力行使はダメという一線だけは、これからも護っていくべきだ。

(3)概念の曖昧さと政府の恣意(しい)的運用の可能性
 首相以下政府の説明も納得のいかないものだが、肝心の法案の規定も曖昧さを含んでいる。
 例えば集団的自衛権行使のいわゆる3要件のひとつに「存立危機事態」があるが、しかし、ここには「武力攻撃事態」のような外部から客観的に判定可能な指標がない。この「存立危機事態」に該当することを判断し、自衛隊を動かすのは時の政府だから、従ってホルムズ海峡の機雷封鎖が存立危機事態に当たるとする安倍首相のように、時の首相や政府によって集団的自衛権はいかようにも行使されることになり、恣意的運用の歯止めがない。
 憲法前文に、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」と述べられているように、かつての大戦は歯止めのない政府の行為によってもたらされ、その反省の上に今日の日本があることを忘れてはならない。今回の安保法制は、日本と日本人の運命を再び「政府の行為」に委ねる危険な法制である。

3、手続き上の問題点
(1)立憲主義に対する畏敬を
 今回の安保法制の最大の問題点は、あまりにも立憲主義が軽んじられていることである。安倍首相は、よく欧米型の統治システムを有する国を「価値観を共有する国」と呼ぶ。その内容は自由、民主主義、法の支配などだが、それらを統一する近代国家の最大の柱が立憲主義である。
 安倍首相が、当初憲法改正を容易にするための「改憲条項」の改正を試み、それが行き詰まると閣議決定による「解釈改憲」に切り替えた経過は、立憲主義に対する畏敬の念の欠如を物語っている。内閣法制局を自分の意見に従わせるための異例の長官人事、大多数の憲法学者違憲論の無視、集団的自衛権行使の容認の論拠として砂川判決をもってくる牽強付会(けんきょうふかい)などは、いずれも同根の手法である。
 もし安倍首相が、安全保障環境の変化などからして本当に集団的自衛権の行使が必要だと感じ、国民を説得できるだけの自信があるなら、堂々と憲法改正から手を付けるべきだ。このまま違憲の疑いの強い安保法制を成立させるなら、すべての法律、すべての統治は憲法によって律せられるという立憲主義は、わが国では崩壊してしまうだろう。

(2)重大な問題ほど丁寧な手続きを
 今回の法案が成立すれば、わが国の安全保障政策にとっての大きな曲がり角になる。かつ報道機関の調査による国民の反対も強く、法案審議が進むにつれその傾向は強まっている。そういう問題であればあるほど、仮にどうしても成立させなければならないとすれば、丁寧な手続きが必要である。例えば消費税の導入には10年を要し、PKO法案には2年を要した。私が関わった政治改革も区割りの仕上がりまで含めると6年の歳月と実に18回の国会を要している。
 反対意見の者や野党との対話も必要である。上述の法案はいずれも野党との綿密な対話の上に成立した。私も、政治改革で河野(洋平自民党)総裁とトップ会談を重ね、参議院での否決後は無論、多数で可決する前の衆議院においても、河野総裁と会談し、合意には至らなかったものの、その意見もくんだ修正を行って参議院に送った。
 これに対して国会審議で首相がやじを飛ばし、野党幹部の質問に「○○さん、あなたは間違っているのです」と答弁するのは、あまりにも唯我独尊であり、合意形成を図るべき政治に禍根を残すことになろう。そのような手法で、違憲の疑いの強い安保法制を成立させることは、わが国の国益を損なうことになると言わざるを得ない。


最終更新:812()1822

 




諸先輩方の貴重なご意見、ぜひ、心にとどめてほしいものです。





安倍ちゃんは、人の意見に耳を貸さないのかと言うと、そうではありません。





8月9日の長崎平和祈念式典のとき。





田上長崎市長が平和宣言文の次の部分を読み上げているとき、安倍ちゃんの眼は激しく左右に動き、明らかに動揺している表情が読み取れました。(実は、この時に会場では大きな拍手が起きたのです。報道ではほとんど触れられていませんが)



『現在、国会では、国の安全保障のあり方を決める法案の審議が行われています。70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が、今揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっています。』




これだけではありません。今日、発表されるであろう70年談話。当初、入れることを嫌がっていた「侵略」「おわび」の言葉が入れられる見込みとの報道があります。




これは、明らかに安倍ちゃんの心変わりです。ネット右翼に支えられ、国会での大多数を良いことに何でもいけいけどんどんで決められると踏んでいた安倍ちゃんですが、最近の世論の厳しさが身に染みているようです。





安倍ちゃんも、ちゃんと人の言葉に耳を貸しているということでしょうか。まあ、彼の場合は、純粋に人の意見を拝聴するということではなく、ただ、計算高いだけですけどね。





とにかく、あと一期、と言いだしたこの独裁者を追い出すまで声を上げ続けましょう。声がやんだら、その時は、奴が復活する時です。







応援クリックしていただきますとありがたいです。よろしく~♪♪


              ↓