この木、なんの木、気になる木
前回は、桜をアップしましたが、今回は「樹」。
とっても大きな、子供たちに傘を差してあげているような優しい樹。
ガジュマルという樹でした~
この木に限らず、大きな木は地域のシンボルですよね。
里帰りして、その木を見るとホッとするとか、その森を見ると昔を思い出すとか。
そんな木や森を、伐るの守るのと大騒ぎした大事件があった事をご存知でしょうか?
そのきっかけとなったのが、1906年(明治39年)8月に公布された「社寺合併並合併跡地譲与ニ関スル勅令」。
簡単に言うと、『神社を合併し、不用になった土地を有効利用しよう』というもの。
この勅令に猛烈に反対したのが、「南方熊楠」。
誰? その人。
この勅令が公布されて以来、1911年末までに全国でおよそ8万の村社が合併されたり、廃止されたそうです。
南方熊楠は、1909年9月頃から地元新聞紙上で反対の論陣を張ったとのこと。
この戦いは、なんと11年にも及び、途中では県の役人に意見を伝えようとして逮捕されたりしている。
この戦いによって、やがて、貴族院で「神社合祀無益の議決」が行われたそうです。
ところで、その熊楠の主張は、次のようなものです。
1)敬神思想を薄くする。
2)民の和融を妨げる。
3)地方の凋落を来たす。
4)人情風俗を害す。
6)治安、民利を損ずる。
7)史蹟、古伝を亡ぼす。
8)学術上貴重の天然記念物を滅却す。
村の大きな木や森は、昔から神聖なもの。
明治維新でよく使われる言葉が、「文明開化」。
じゃあ、それまでの日本には、文明はなかったの?
とんでもないですよね。
「江戸」は、世界一の人口を抱える都市であると同時に、世界一清潔で、美しく、リサイクルシステムが完成した都市だったのです。
にもかかわらず、破壊されてしまった「江戸」。
政治の変革には、当然、大きな価値観の転換やシステムの変更が伴います。
でも、壊してはいけない価値観・システムもあるはず。
明治維新の時には、「自由」「功利」が優先されて、そのような配慮がなされなかった。
残念なことでした。
あれ?
ただ、木の写真を見てもらうだけの記事のはずが。。。。^^;
さーよーなりー