江戸っ子でぃ

長崎県五島市に住む老人が、政治に関する愚痴などを書いています。

法事からの年賀状。他人と自分と。

 

 

皆さん、お早うございます。

 

 

今日の五島地方、曇り空でのスタートとなりました。

 

 

シカリさんのブログですが、8月2日から連続での投稿をしてきたんです。

 

 

ところが、先日(14日)、長崎方面への一泊二日の旅で、仕切り直し。

 

 

今日で、4回目の投稿なんです。

 

 

まるで、初心者。^^;(内容は、ずっと初心者ですけどね)

 

 

とは言え、旅の目的である法事にも無事に参加出来、久しぶりに、いとこたちやその配偶者たちと再会できて、とても楽しい時間を共にすることが出来ました。

 

 

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シカリさんは、以前から、葬儀や法事と言うのは、故人をしのぶという意味もあるけど、こうして身内のぬくもりを共有するためにもあるのだろうな~、と思っております。

 

 

幼い頃、一緒に走り回っていたみんなも、髪は抜け、足腰が悪くなり、タタミに正座が出来ず、椅子の奪い合い。

 

 

食事を始めると、口に入れた端からポロポロこぼし、こぼしたものを拾おうと、うろたえて湯呑をひっくり返す。

 

 

それに驚いた隣りに座っていた従姉妹の配偶者は、ビールを喉につまらせ咳き込む。

 

 

食事が終わると、お互いの幼い頃の話しに。

 

 

「あんたは、こうだった」「いや、あんたこそ、こんなんだった」などなど。

 

 

話しを聞いているうちに、自分でも気づかない「自分」が従姉妹たちの心の中に保存されていたのに、ビックリしたり、嬉しくなったり。

 

 

これは、帰って来てから気づいたのですが、かつて、南アフリカの黒人初代大統領であったネルソン・マンデラさんが「ウブントゥ(他人がいるから、自分がいる)」という言葉を言っておられたけど、その通りだな、と思った次第ですよ。

 

 

ワシ等のは、まるで蜘蛛の糸のように360度張り巡らされた人間関係の記憶の中で生きているんだな~、と感慨深いものがありました。

 

 

ある時には、近づき。

 

 

また、ある時には、距離を置き。

 

 

そうしながらも影響を与え合いながら、昨日から今日、今日から明日と生きていくんですよね。

 

 

それにしても、まあ、賑やかな法事でした。

 

 

皆さんも、そのような機会があったら、是非、参加してみて下さいね。

 

 

で、帰ってきて、シカリさんが悩んでいるのが、年賀状のデザイン。

 

 

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お世話になった皆さんに、年に一回くらいは、便りを出そうと、老体に鞭打って頑張っております。

 

 

あ~~、どんなデザインにしようかな~。

 

 

今日も最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。

 

 

今日一日が、皆様にとりまして、素晴らしい一日となりますようお祈りいたします。

 

 

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ヒメジョオン

花言葉:素朴で清楚

誕生花: 11月18日

 

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