なんだかな~、「岡田以蔵の命日祭」??
今日、5月11日は、岡田以蔵の命日。
竜馬伝で、すっかりお馴染みの「人斬り以蔵」が斬首された日なのです。
そこで、地元で始めて命日祭が行われとか。。。。
江戸文化と武士道を愛するシカリさんとしては、面白くない行事です。
<岡田以蔵>刑死後145年、初の命日祭 高知・真宗寺山 5月10日17時12分配信 毎日新聞 幕末に“人斬(ひとき)り以蔵”と恐れられた土佐勤王党員、岡田以蔵(1838~1865)の命日に当たる11日、高知市薊野(あぞうの)北町1の真宗寺山にある墓前で、刑死後145年にして初めての命日祭が開かれる。NHK大河ドラマ「龍馬伝」を機に墓を訪れる歴史ファンが増え、地元住民が企画した。 真宗寺山には以蔵を含む岡田家の墓のほか、三菱財閥創始者の岩崎弥太郎らを門弟に持った儒学者の岡本寧浦、絵師金蔵(絵金)ら高知を代表する先人の墓が点在する。歴史ファンが訪れることもあったが藪が多く、道も整備されていないため、墓までたどり着けない人もあった。 このため住民組織「薊野コミュニティ計画推進市民会議」が03年から山を歴史の学べる場所にしようと、子孫を捜して許可を得るなどして昨年11月、12の墓を巡るコースを造った。子供も歩ける約2時間の道で、人物の案内板も設置した。 西森一郎・同会議代表(79)によると、若者を中心に以蔵の墓を訪れる人が増え、お供えの花が絶えない。墓石は隣りあう一族の石より黒ずみ、「お酒をかけてあげる人がいるんでしょう」。これらの人気から、初の命日祭の開催を決めた。西森さんは「切るか切られるかの時代の中、信念を貫き通した以蔵に学びたい」と話す。 命日祭は墓前で午後2時から約1時間、岡田家の子孫も出席する予定。以蔵への思いを伝えあう意見交換会も行われる。【千脇康平】
まあ、どんな悪人でも死んでしまえば仏様だし、親族にとってはかけがえのない人。
だから、身近な人たちが命日に仏様に手を合わせることは、当然でしょう。
でも、今回の命日祭は、いささか「なんだかな~」と思ってしまうわけ。
厳しい差別社会を打破するために戦った英雄という見方もあるかもしれません。
土佐勤皇党にしたところで、結成はしたが、何をして良いか分からない状態。
そのような状態のときに、衝動的に、当面の敵を暗殺していったのが彼等なのです。
以蔵が、関わったといわれる暗殺は次のとおりです。
井上佐一郎暗殺(文久2年8月2日) 本間精一郎暗殺(文久2年閏8月20日) 宇郷玄蕃頭(文久2年閏8月22日) 猿の文吉殺害(文久2年閏8月30日) 京都町奉行所四与力(渡辺金三郎・森孫六・大河原重蔵・上田助之丞)殺害(文久2年9月23日) 多田帯刀暗殺(文久2年11月15日) 池内大学暗殺(文久3年1月22日) 賀川肇暗殺(文久3年1月29日)
この暗殺、全てに以蔵がかかわったと言う確証はありません。
しかし、その多くに関わったことは事実のようです。
このような暗殺が、どのように行われたのか?
多くの場合が、不意打ち、闇討ちであったとか。
武士が、かたき討ちや真剣による立会いをする場合は、当然、お互いの名を名乗り、正々堂々と斬り合った。
しかし、彼らのやり方は、極めて卑怯な方法。
テレビドラマなどでは、視聴率を上げるために格好良い人をキャスティングし、見苦しくない立ち回りに仕上げている。
ですが、人斬り以蔵について言うならば、中東やロシアなどで無差別爆弾テロを実行している「テロリスト」と全く同じなのです。
龍馬伝で、盛り上がるのは良いですけれど、歴史の事実に目をつむって、ムードで、あるいは経済効果目当てで騒ぐのはいかがなものか。
もちろん、確固たる信念を持って「テロも正しい」と言える人には何も言えませんが。。。
同情すべき点があるとすれば、「知識もなく、時代に翻弄された。」ということだろうか。
上に書いた暗殺された人々の家族は、その後、どのような人生を送ったのでしょうか。
その子孫は、どのような思いでいるのでしょうか。
文明開化 |
以前も、同じような指摘をしましたが、明治維新の代名詞として「文明開化」という言葉が使われます。
しか~~し、教育レベルで比較すると
イギリスの主な工業都市で20~25%(1837年)
フランス1.4%(1793年)
当時の江戸は、清潔でリサイクルシステムが築かれた世界一の都市だったのです。
西洋から日本人が学んだことは、ブレーキの利かない「物欲」ではないでしょうか。
家族と言う単位を破壊し、労働者・消費者と言う「数字」で管理する社会システムではないでしょうか。
一緒に、考えてくださいね。