江戸っ子でぃ

長崎県五島市に住む老人が、政治に関する愚痴などを書いています。

私とこの子の関係は。。。「戸籍の電子化」で

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 私たちの身分を証明するもの、最近では、色んなものがある。 

 健康保険証、運転免許証、各種カードなど、その必要とする程度によって、こうしたものが私たちの身分を証明してくれる。しかし、こうしたものの基本にあるのは、国や自治体が管理する住民基本台帳や戸籍である。

 特に、戸籍には身分を証明するだけの実務的効力以外にも、自らの出生や系統を誰かが証明してくれると言う「安心感」も与えている。

 こうした戸籍制度は、明治以降の話。
 江戸時代は、そもそも農民・漁民・商家などの人は、氏がなかった。
 必要がなかったのである。どのようにしていたのかというと、「○△村の◇○」と呼ばれていたのである。それで、十分だったのである。なぜなら、当時は他の地区に移動するにも「お上」の許可が必要だった。(テレビなどで通行手形なるものを見聞きしたことがあると思います。)つまり、移動の自由がなかったから、だれでもその人を特定できたのである。

 しかし、明治政府にとって、大量の労働力・兵力を確保するためには、移動の自由を保障し、その上で個人を特定できるシステムが必要だったのである。
 つまり、戸籍制度というのは、あくまで国が国民を管理する意味で作った制度である事を押さえる必要がある。したがって、国は自らが必要とする情報以外の管理には興味がないのである。

 ところで、自分の子供の名前が戸籍から消えたら、皆さんは、どのように感じるでしょうか。
 不幸にして亡くなってしまった子供の氏名が、戸籍に記載されないと言う事態になっているのです。理由は、戸籍のコンピューター化による事務の繁雑により手が回らないからとか。。。
 え?戸籍って、その程度のものなの?

【戸籍法】
第六条  戸籍は、市町村の区域内に本籍を定める一の夫婦及びこれと氏を同じくする子ごとに、これを編製する。ただし、日本人でない者(以下「外国人」という。)と婚姻をした者又は配偶者がない者について新たに戸籍を編製するときは、その者及びこれと氏を同じくする子ごとに、これを編製する。 

第七条  戸籍は、これをつづつて帳簿とする。 

第八条  戸籍は、正本と副本を設ける。 
○2  正本は、これを市役所又は町村役場に備え、副本は、管轄法務局若しくは地方法務局又はその支局がこれを保存する。
 
第十三条  戸籍には、本籍の外、戸籍内の各人について、左の事項を記載しなければならない。 
一  氏名 
二  出生の年月日 
三  戸籍に入つた原因及び年月日 
四  実父母の氏名及び実父母との続柄 
五  養子であるときは、養親の氏名及び養親との続柄 
六  夫婦については、夫又は妻である旨 
七  他の戸籍から入つた者については、その戸籍の表示 
八  その他法務省令で定める事項 

 つまり、お父さん・お母さんとその子の関係を記載するのが戸籍なのである。

 「両親にとっては、このような子供達が居ます。」ということを、「子供達にとっては、この両親の子供である。」ということを記載している。
 同時に、「両親にとっては、このような子供達が居ました。」ということを、「子供達にとっては、この両親の子供でした。」という経過も判る必要がありませんか。

 国は、一旦、自らの意思で「国民相互の関係性を証明するシステム(戸籍・住民基本台帳)」を導入した。こうしたシステムの導入には、国家と国民との間で、そのシステムに対する信頼性と相互利便性に対する信頼があったはずである。
 そうした背景があったからこそ、そうしたシステムを維持するためには、各種届出を義務化している。ところが、国が自分の都合で一部記載できない事態となったときに、色々言い訳をして、自らが進めたシステムの欠陥(国にとっては、欠陥ではないのだろうが)を修復しようとしない。もともと、戸籍に記載されていた事実を、コンピューター化による事務繁雑を理由に復活しようとしない。

 あるいは、亡くなった方との関係は必要ないというのだろうか。一部では、「それは、感情的問題だ。そこまで国に求めるのは無理がある。」という向きもある。
 そうです。
 感情の問題、心の問題なんです。
 人の感情・心の問題と言うのは、存在の問題なのです。

 そんなことは知らん、と言うのであるなら、最初からそのようなシステムは導入しなければ良い。
 各種届出を義務化しなければ良い。

 個人の特定をする必要が生じたときに、役人がいちいち出向いて、聞き取りをして証言を得て特定すると言う作業をすれば良いのではないか。そんな馬鹿な、と言う声が聞こえそうですね。管理する立場に立てば、そんな馬鹿な、と思うでしょう。しかし、国民にとって、確かに自分の子であった子供の名前が戸籍に記載されていないと言うことこそ、そんな馬鹿な、なのである。

 国民に安心感を与えることが出来ない国って、何?
 この際、国と国民の委託関係をキチンと考え直す必要があると思いませんか?「そんなことまでしなくて良いよ。」と思う施策が一杯ある。
 今、問題になっている年金にしても、昭和10年代に厚生年金がスタートしたが、その目的は「戦費」の確保であった。(なにせ、当分は支払う必要がないから、いろんなことに流用できたのである。)こうした姑息な方法で、施策を貫こうとする官僚のあり方を、どのような問題でも見逃してはいけない。

 とにかく、「自分の子供であった事を戸籍に復活させて」という当然の声を知っていただき、広める活動にご協力ください。(なお、署名活動などは、実施期限などがありますので、当該団体にご確認ください。)

 関係団体のホームページ(↓)
   http://www012.upp.so-net.ne.jp/koseki/


 この問題を、知らせてくれた真魚さんのブログ記事(↓)
   http://blogs.yahoo.co.jp/mawo_mawo_mawo/folder/1685122.html


== <関係新聞記事> == 

戸籍電子化:消える死亡者名 親の会、名前残すよう要請…法務省は「実現困難」

毎日新聞(2007年11月13日)より

◇「×印」でも子の生きた証し 

 戸籍の電子化に伴い、電子化前に亡くなった家族の名前は新戸籍では消える。病死した子供の親たちが「生きた証し。名前を残して」と希望者には記載を残すよう求めた要請に、法務省が「電子化前の原戸籍には記載されている」などとして「実現は困難」と回答した。要請から5カ月後に文書回答した法務省に、親たちから「真剣に検討したとは思えない」と不満の声が上がっている。【工藤哲】 

 従来の紙の戸籍や電子化後も残る原戸籍では、家族に死亡者が出ると、除籍したことを示すため名前の欄に×印を付けてきたが、名前自体は読める。94年の戸籍法改正に伴って順次導入されている電子化戸籍では、電子化後に死亡した家族については「除籍」と追加記載されるが、電子化前に死亡した場合には、戸籍に名前さえ残らない。 

 こうしたことから「新戸籍は、子供が生きていたことや、生まれたことさえ、なかったと同じ」として、「電子化前に死亡したケースでも希望者には名前を載せてほしい」と、子供が病死した親たちの会「小さないのち」(兵庫県尼崎市)が5月31日に、法務省に要請書を提出していた。 
法務省は先月29日付で「戸籍は一定の形式・方式に従い、記載すべきものとされている」としたうえで、「心情は十分察するが、原戸籍で証明できることや全国統一的な記載や扱いをするため(希望者配慮は)困難」と回答した。
 
 要請の中心メンバー、川崎市麻生区の○○○○さん(42)は、04年10月2日に1人息子、葉(よう)ちゃんを2歳5カ月の時、急性脳症で亡くした。川崎市での電子化戸籍の6月導入を前に改善を求めていた。○○さんは「名前が消えると知った時、子供を2度失ったようなショックを受けた。この世に存在した証しとして名前を入れてほしいだけ。5カ月も待たされ、誠意ある回答とは思えない」と話した。
 
 法務省民事1課は「システムの改正には手間がかかる。離婚や養子縁組の解消の場合なども含めて、どの程度まで希望を受け入れるかという問題もあり、要望への対応は難しい」としている。
※メンバーの氏名は、現時点での論議に不要と考え、ワシの判断で、匿名としました。

<その他ブログでの関連記事>
 http://blogs.yahoo.co.jp/tdotped9096007/17887181.html
 http://sohken.asablo.jp/blog/2007/11/13/1907278