初来日した南米ウルグアイのホセ・ムヒカ前大統領(80)が6日、記者団の取材に応じ、在任中も貫き通した質素な生活について「自由を実現するためだ」と語り、大量消費社会を批判した。
大統領就任後も官邸には住まず、質素な生活を心掛けた。給与の大半を寄付し「世界一貧しい大統領」として知られる。
ムヒカ氏は「質素な生活をすれば車や家を買い替えるのに時間を費やさずに済み、やりたいことをする時間が増える。それが自由というものだ」と持論を展開。聖書の言葉を引用しながら「人間の幸せは物質的なところには存在しない」と語った。
ネクタイをしないことでも有名で、「使いたい人が使い、嫌な人は使わなければいい」。在任中にベルギーで国王と面会した際もかたくなに着用を拒み、最後は国王がネクタイを外したエピソードが紹介されると、会見場は笑いに包まれた。
国家権力者となっても質素な暮らしを続け、「世界でいちばん貧しい大統領」と親しまれている前ウルグアイ大統領のホセ・ムヒカ氏(80)が初来日し、6日、都内で記者会見した。
5日に日本に到着。5日夜は懐石料理を食べ、初めての刺し身にも挑戦したというムヒカ氏。ネクタイをしないことで知られるが、この日もシャツにブルゾンを羽織ったラフな服装で、同行した妻ルシアさんらと会場に現れた。
「ホセ・ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領」(KADOKAWA)の刊行を記念した来日だが、ムヒカ氏は、「私は、日本から学びたいと思ってやって来た。昔から、長い歴史を持つ日本に深い興味がある。まもなく81歳になるが、この年齢になって、単に観光目的で、25、26時間かけて長旅をして1つの国に来ようとは思わない」。その上で「この国はどこに向かっていくのか、世界の将来はどこに向かっていくのかといつも思っている。日本は、世界でもすぐれた工業先進国。ぜひ、日本人に聴いてみたい。どんな人類、世界の将来を夢見たいかを考えずに、私たちの将来はないと思う」と述べた。主な発言や、報道陣とのやりとりは、以下の通り。
【ネクタイについて】
ムヒカ氏は、ネクタイをしないことで有名。同席した本の著者の1人、エルネスト・トゥルボヴイッツ氏は、ムヒカ氏がベルギーを訪問した時、国王に会う時もネクタイをしていなかったため、国王の方がネクタイを取って会談に臨んだことを明かした。
<ムヒカ氏> 私は世界を変えるために闘争してきたが、私が目指したのはネクタイを使いたい人は使えばいい、使いたくない人は使わなくてもいい世界。個人的には、簡素で質素、あまり抱え込まない暮らし、人生が大事だと思う。誰かに同じ考えを強制するつもりはないが、自由のためには戦う。自由とは、他者がしたいことを妨害することではない。
質素な暮らしをすることは、本当に私がしたいことをする実感が得られる。それが自由だ。いろいろと物を買いかえる、ややこしい暮らしをしていたら、本当に私がしたいことをする時間がなくなる。ネクタイより大切なものがある。ネクタイとは、そのことを象徴している。
【どういう部分が、人を引きつけると思うか】
<ムヒカ氏> 私にも明確な答えはないが、私がさまざまな場で提言してきた考えは、日本で伝統的に引き継がれてきた文化の根底に、通じるのではないか。だから私のメッセージが日本の方に訴えるのかなと思う。昔の日の文化は、私の伝えるようなメッセージを持っていたと思うが、西洋化された日本文化によって、今は見えなくなっている状態ではないかと思う。私のメッセージに、(日本人が)注目しているというより、日本文化の底流にあるということが、訴える要因ではないか。
<妻のルシアさん> 政治家は、往々にして自分に利益をもたらすことをしようとする傾向があると思う。政治家が利益を目的にしようとして、それがもたらす結果は、ある程度予測できる。でも、ホセがすることは、結果を見越してやるのではないく、自分の思想に忠実に話して、行動しているところが、いいところだと思う。私の意見では中立ではありませんが。
【戦争と平和】
<ムヒカ氏> 私たちは、平和に導く解決策を模索しないといけない。特にラテンアメリカではそう。常に犠牲となるのは弱者だから。それをするのが我々の義務だ。人類は今も「戦死時代」を生きている。戦争を完全に放棄することができれば、初めて人類は「戦死時代」から脱却できる。
【リーダーシップ論】
<ムヒカ氏> 私たちは大きな矛盾をはらむ時代に生きている。これほど矛盾を抱えた時代は、人類にはなかったのではないか。現在、我々は多くの富を抱え、科学も発展し技術も発展している時代に生きている。こういう時代に大切なのは、私たちは今、幸せに生きているか考えることだ。
1つの側面ではすばらしい効果がある。私たちの寿命は150年前から、40年伸びたが、でも軍事費に毎分200万ドルを使っている。人類の半数の人が持つ富に等しい富を、80~100人の豊かな人が持っている。富の不均衡、格差を生む現状をつくった世界のルールに支配される世界にいる。若い人たちには、こういう間違いを繰り返さないでほしいと思う。
命ほど大切な物はない。世界について人生について考える時も、どうやれば幸せになるかから、考えないといけない。人生が重荷になるような、苦悩鬼なるような人生では、ないようにしないとういけない。
若者に目指してほしいのは、小さな世界だ。鳥の世界といってもいい。鳥は、毎朝起きると喜ぶようにさえずる。喜びが沸き上がるような世界を目指してほしい。貧しく、厳格に生きるべきだと言っているのではない。実践してほしくないのは、富に執着したり富を求めるために、絶望にかられて生きるように、生きてほしくないということだ。
人生には、ささいなことでも、大切なことがある。愛をはぐくみ、子どもを育て、友人を持つ。そのためにこそ、人生の時間を使って欲しい。私たちが生きている世界が、天国になるのも、地獄になるのも、私たち次第だ。エゴが支配する世界ではなく、エゴを捨てた世界が、できるのではないか。
人間はだれもがエゴイズムを持っている。生活のために戦わないといけないからだ。同時に、人間は社会が必要。1人では生きられない。正しく生きられる文化をつくらないといけない。自分のエゴに満足するため、他者を破壊しないといけないような文化であってはならない。
エゴイズムは、競争を助長し、さまざまな発展や進歩ももたらした。でも危険なくらい、激しい野心も生んだ。野心というのは、それを忠実に実現しようとすれば、すべてを破壊していく。人生より価値のある物はない。お互いが、お互いを征服する現象を、終わらせなければならない義務がある。もちろん、簡単なことではない。これは、世界の若者が達成しないといけない大義だ。よりよい世界を目指すことは大義だが、可能でもある。そのためには、試行錯誤が必要。間違いはあるが、もちろん、テロのような行為になってはならない。