江戸っ子でぃ

長崎県五島市に住む老人が、政治に関する愚痴などを書いています。

茨城県教育委員の長谷川さんよ、あんた、辞めな!








科学の進歩、医療技術の進歩は、人間を幸せにするはずなのに、より深い苦しみを与える結果となっています。






障害児の出産「茨城では減らせる方向に」 教育委員発言


朝日新聞デジタル 1119()30分配信


 茨城県の教育施策を話し合う18日の県総合教育会議の席上で、県教育委員が障害児らが通う特別支援学校を視察した経験を話すなかで、「妊娠初期にもっと(障害の有無が)わかるようにできないのか。(教職員も)すごい人数が従事しており、大変な予算だろうと思う」と発言した。
 発言したのは、今年4月に教育委員に就任した東京・銀座の日動画廊副社長、長谷川智恵子氏(71)。発言を受け、橋本昌知事は会議で「医療が発達してきている。ただ、堕胎がいいかは倫理の問題」と述べた。長谷川氏は「意識改革しないと。技術で(障害の有無が)わかれば一番いい。生まれてきてからじゃ本当に大変」茨城県では減らしていける方向になったらいい」などとした。
 会議後の取材に、長谷川氏は出生前診断の是非などについて「命の大切さと社会の中のバランス。一概に言えない。世話する家族が大変なので、障害のある子どもの出産を防げるものなら防いだ方がいい」などと話した。
 橋本知事は取材に「事実を知って産むかどうかを判断する機会を得られるのは悪いことではない」とし、長谷川氏の発言に「問題はない」と話した。(酒本友紀子)


最終更新:1119()148

 





 この人は、何を言いたかったのでしょうか。





障害児のために教員が「ものすごい人数従事している」のは、もったいない。「意識改革」をして、無駄を省くべきではないか?
「妊娠初期に判断」出来て、障害を持つ子を堕胎できれば、「茨城では障害児を減らす」ことが出来て、無駄な教員の配置を減らすことが出来る。「世話する家族だって大変」じゃないですか。





こんなことを言っているんでしょうね。障害児を持つご家族にとって、このような発言は、どのように響くでしょうか。どのように受け止めるでしょうか。





「あ~、長谷川さんの言う通りですよ。こんな子どもは産まなきゃよかった」と賛同するのでしょうか。




それとも、「障害はあっても可愛い子どもに変わりはないよ。世話をするのは大変な時もあるけど、この子がいない生活は考えられない」と言うでしょうか。




この問題は、とてもデリケートで、どちらかの回答を決めつけるのも心が痛みます。ワシが、現時点で言えるのは、「これほど第三者が口をさしはさむことが難しい問題を、よくもまあ、ぬけぬけと高飛車に言えるもんだよ。」と言うこと。




人の命の形、生活の形は色々あると思いますが、特定の形だけが「良く」て、他の形は「悪い」あるいは「無駄」と考える思考方法は、いかがなものでしょうか。




このような傲慢な人間を生む背景には、なんでも科学で解決できるという過信があるんでしょうね。




科学が進歩したからと言って、命の選別まで人間がして良いということではないと思うのですが、違いますでしょうか。こうしたことを言うと、批判したい方々は、「きれいごとを言うな」と簡単な言葉を投げつけます。




生まれようとしている命に障害があると分かった時、若い夫婦は、どれほど悩むでしょうか。出産を選ぶにしても、堕胎を選ぶにしても、第三者が「正しい」「悪い」と簡単に言えるような問題ではないと思います。なにせ、どちらを選んだにしても、苦しみは付きまとうのですから。堕胎すれば、一生「生まれるはずの命を絶ってしまった」という後悔を抱え、出産を選べば生活の大変さと、生まれた子供の苦しみを見るという苦しみが待っている。ただ、違うのは、出産を選べば、苦しみ以外にも子どもが喜ぶ顔を見ることが出来るという大きな喜びがあるわけです。





最近、障害を持つ子供のお母さんが、「他の子は大きくなって、強盗とかして人に迷惑をかける子もいるかもしれないけど、うちの子は、そんなことはしない。いつもニコニコしていて、とても優しい。」と言っていました。





話しを戻しますが、昔なら、「天から授かった命」として、全ての運命を引き受けるのが当たり前でした。しかし、現代の科学・医療の進歩は、人間に良い出産と都合の悪い出産を「選別できる」という勘違いを与えしまい、傲慢にさせています。このような人間の群れが、どのような方向に行くのかわかりませんが、自然の選別を無視し、人間の好みでの選別が主流になった時に、大きなしっぺ返しが待っているような気がするのです。




いずれにしても、とても、とても難しい問題を、いともたやすく発言するようなお方が教育委員であることは、茨城県にとっても、日本にとっても大きな痛手になることは言えると思うのですが、いかがでしょうか。




ちなみにこの御仁、19日に発言を撤回するとして、次のようなコメントを発表しています。
 



 この度の私の総合教育会議での発言により、障害のある方やご家族を含め、数多くの方々に多大なる苦痛を与えましたことに、心からお詫(わ)びを申し上げますとともに発言を撤回させていただきます。
 言葉足らずの部分がありましたが、決して障害のある方を差別する気持ちで述べたものではありません。反対に、生徒さん達の作品を拝見し、多様な才能をお持ちでいることも理解しており、美術の世界で、もっとお手伝いができるのではないかと思いました。また、生まれてきた子どもたちの命は全て大切なものであると考えております。
 今後は、教育委員として今まで以上に研鑽(けんさん)を積み、よりよい茨城の教育の推進のために微力ながら力を尽くしてまいりたいと考えております。






発言を撤回して元に戻るのは、自らの「安全」のみ。その言葉を聞いた周囲の気持ち、反応が元に戻ることはないと思います。





「差別する気持ちで述べたものではありません」と言うけど、差別は無意識でもするものです。無意識での差別は良いのでしょうか?余程たちが悪い。意識せずに差別をするということは、根っからの差別主義者と言うことですからね。





さらに、「多様な才能をお持ち」のことは分かっているから、その子たちは生かしてもよいと考えている、と言うことでしょうか。ついつい出てしまう選別主義。この人の本性と言うのが端々に出ているコメントですね。安倍晋三は、外国のどこかで「一に経済、二に経済、三に経済」とかという演説をしていましたけど、この教育委員さんの頭には、安倍晋三と同じで「お金、お金、お金」しかないようですね。




とにかく、意識しようが無意識であろうが、差別を助長するようなことを発言するようなお方が、日本のどこかで教育委員などと言う要職に就いていることは許せません。即刻、退任を求めます。





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