江戸っ子でぃ

長崎県五島市に住む老人が、政治に関する愚痴などを書いています。

障がい者だから、と言う視点








シカリさんは、「障がい者って何だろう?」と考えることがあります。





万能な人など見たこともないし、聞いたこともない。人間だれしも、何がしかの欠点もあれば、良い所もあります。性格にしても、様々な能力にしても。




そんな中、ある能力が不足しているからと言って、一律に何かを制限する様々な制度にも疑問を抱きます。








聴覚障害者も2種免許可に…補聴器認める方針


読売新聞 1023()168分配信


 警察庁は22日、客を乗せてバスやタクシーを運転できる第2種免許について、補聴器をつけた状態でも一定の聴力があれば、聴覚障害者に取得を認める道路交通法施行規則の改正案をまとめた。

 一般から意見を公募し、来年4月に施行する予定。

 現行制度は、補聴器を使わずに10メートル離れた場所で90デシベルのクラクションの音が聞こえることを免許取得の条件としているが、改正案では補聴器を使って聞こえれば取得できるように条件を緩和する。

 聴覚障害者の運転免許を巡っては、2008年の同法施行規則改正で、音が全く聞こえなくても大型ミラーを車内に設置することを条件に普通免許の取得が可能になり、12年4月には、同様の条件で普通貨物車も運転できるようになった。


最終更新:1023()1610





そうなんですよ。私たちは、補うことが出来るんです。不足する部分を補うことで、大差ない能力を獲得して生活することが出来るんです。




今回の道路交通法施行規則の改正は、至極当然な成り行きと言えます。





マスコミで大きく取り上げられるのが、てんかんなどの持病を持っている人が起こした交通事故。もちろん、どのようないきさつにしろ、被害者やその家族にとって、不意の事故は受け入れがたいものです。被害者や家族の怒り、その後の健康への不安など、十分理解できます。




ところが、最近の日本の風潮は、そうした感情が先に出すぎて、例えば、てんかん患者には運転そのものを認めるな、という極端な議論に走りがちです。精神障がい者の場合も同じような扱いを受けます。




しかし、科学・医学技術が進展した現代社会では、様々な私たちの欠点を補うことが出来るのです。きちんと服薬をしていれば何でもないことなんです。たまたま、治療も服薬も怠ったような人が起こした事故で、そうした病気を持つ人々全体に偏見を持つ。




感情論は、偏見を生み、障がいを持つ人たちの前へ進もうとする勇気を潰してしまいます。ちょっと補えば、平均的生活が送れるのに、そうした道すら遮断してしまうことがあります。




失われた能力にばかり注目して、今現在持っている能力を引き出そうとしない。これは、障がい者にとっても地域社会にとっても、もったいないことだと思います。




ピンピンシャンシャンしていた人も、加齢とともに視力も衰え、体力も衰え、認知力も衰えます。色んな能力を、今持っている人、持っていない人。やがて、失う人。それを、さも自分は万能ですと言わんばかりに「障がい者」と規定して差別することのむなしさに気づいてほしいと思います。そして、偏見に基づいた様々な制度が、補うという人間の知恵により取り払われることを願っています。




障がい者としての規定は、当事者の今現在の生活を補う福祉制度の中でのみ有効な言葉であってほしいものです。




当事者や家族にも勇気が必要です。前に出る勇気が必要です。失われた能力を悲観してばかりいるのではなく、外へ出て情報を得て、失われた能力を補う努力が必要です。周囲の人たちを信頼し、声をかけてみる勇気が必要です。「手を貸してください」と声をかけてみましょう。



お互い出来ることで補い合う社会。支え合う社会が実現できたらいいな~、と思うシカリさんでした。
五島市にある障がい者支援団体のホームページです。素人の手作りです。>





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