江戸っ子でぃ

長崎県五島市に住む老人が、政治に関する愚痴などを書いています。

日本国憲法についての自主学習(その3)

なぜ改憲が必要なのか、どのような国を目指すのか。













現在、憲法を改正しないといけない、と主張される皆さんは、なぜ必要と考えているのでしょうか?










一番言われているのが、「生い立ち」に問題がある。外国に押し付けられたものだから自分の手で、というもの。その他に、その流れで、日本らしい憲法が必要、あるいは、現憲法は現代に合わない部分があるので改正が必要というものです。












私たちは、現在でも日本の歴史や文化を大事に思い、家族や地域の人たちと助け合って生活しています。わずかですが税金も納め、国や自治体が運営されています。取り立てて憲法改正を急ぐ必要性は感じませんけど・・・。ここは、やはり、総理の言葉を聞かないと。














安倍信三HPより

「美しい国、日本」
日本は美しい自然に恵まれた、長い歴史と伝統、独自の文化をもつ国です。
日本人であることを卑下するより、誇りに思い、未来を切り開くために語り合おうではありませんか。












「日本人であることを卑下するより」???全国の皆さ~~ん、皆さんは、日ごろ、自分が日本人であることを卑下して生活していますか~?













安倍さんは、よほど強い劣等感を抱いて成長したのでしょうか?一行目の「美しい自然・・・」などということは、まあ、普通の感覚で、憲法を改正しようがしまいが変わらないこと。











結局、改正を主張する最大の要因は、憲法の生い立ちにあるようですね。






















どのような国を目指すのか、よくわかりませんでしたので、自民党の改正草案の「前文」を読んでみましょう。






日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下<以下略>。
 
我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を<以下略>。
 
日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
 
我々は、<略>・・国を成長させる。
 
日本国民は、<略>、この憲法を制定する。









現行憲法と比較して、随分、短くすっきりとしています。














注目すべき点。それは、この文章の書き手、主役は誰なのか、ということ。現憲法の書く文章の書きだしは、「日本国民は」「われらは」の二語しかありません。しかし、自民党案での文章の書きだしは、「日本国は」「我が国は」「日本国民は」「我々は」「日本国民は」と文章によって違っています。










自民党案で一番大事なのは「日本国」「我が国」であり、そのために「日本国民は」「我々は」色んなことを守りましょう、と主役は国民でなく国になっています。










ここは、とても大事なところです。憲法というものは、その国の人々の国のあり方に関する理想を示し、行政権力の活動を縛るためにあるものなのです。ここを勘違いしたら、主人か奴隷か、という天地ほどの違いになります。























次に、幾つかの条文の問題点を考えます。











わざわざ、第3条に国旗・国歌に関する規定を新たに作り、第9条で自衛権を規定し、第12条などでは国民の権利を「公益及び公の秩序」の範囲内、と規定しています。第24条では、1項を追加し「家族は助け合わなければならない」と規定しています。









国歌に付いては後でふれますが、、第12条などで国民の権利を「公益及び公の秩序」の範囲内、と規定していることには、十分な注意が必要です。「公益及び公の秩序の範囲」はだれが判断するのでしょうか。言うまでもなく、行政権力の一部である警察の公安部門が判断することになります。










戦前は、デモも集会も認められなかったし、政府の意向に合わない本やレコードの発売も禁止されていました。例えば、歌では高峰秀子さんの「森の水車」「湖畔の宿」、本では小林多喜二の「蟹工船」などです。禁止となる基準はあっても公表もされないし、妥当性を評価することもできないのです。











ここで、「君が代」を尊重するように新たな規定まで入れていますが、これは外国人に必要性を迫られて作ったものなのです。「憲法は押し付け」と言いながら、一方では「君が代」は大事にする。なんやこれ?










明治2年にイギリスの軍楽隊長ジョン・ウイリアム・フェトンが薩摩軍楽隊に国歌の制定を求め、歌詞は大山巌が好きだった現在の歌詞を取り入れ、フェトンが作曲したのです。その後、林廣守やドイツ人フランツ・エッケルトなどが曲を書き直し現在の「君が代」になったのが明治13年なんです。























自民党の人たちがよく言う「美しい国、日本」「日本を、取り戻す」とは、なんでしょうか?










草案を読む限り、天皇を元首にすること、戦争が出来るようにすること、国民には公益の範囲で権利を認めること、家族は助け合うこと、などを柱としたもののようです。









ここで、天皇の問題に少し触れるならば、「元首」と入れたものの、現実は、内閣の指示がなければ動けないこととなっています。










このからくりに気づかないといけません。あたかも天皇を仰ぐように見せて、内閣の指示のもとに置き、国民にも「公益」という名で行政府の監督下に置く。つまり、日本は行政権者が一番エライ国を目指すというのです。マジっすか~。













「家族は助け合わなければ」と規定するということは、現状は国民の意識不足で助け合っていないというのでしょうか。











ここに、自民党の国家観の最大の欠点があります。助け合いたくても、離れて暮らさなければ生きていけない。だから、なかなか、助け合えない。そもそも、自分が生きるので精一杯。家族制度が崩れだしたのは、今に始まったことではありません。明治からなのです。











「維新だ、開国だ」と浮かれていた時代に、家族制度は崩れだしたのです。大きな理由は、グローバル化。家族制度が崩れていく様を、明治・大正・昭和初期の文学者は様々な作品に書き残しています。










グローバル化は、時代の流れで仕方ないにしても、根幹である家族制度が崩れるのを防ぐ方法はあったはず。今、TPP問題が騒がれていますが、間違いなく地域・家族のつながりが今以上に切れます。ここに、自民党の国家観の問題があります。口では、「家族、美しい国」と言っても、やっていることは利益中心で家族関係をズタズタにすること。










古き良き日本とは、なんでしょうか。それぞれの地域が、知恵を絞り、つつましく生きていた日本人。そうした日本を記録しようと奮闘した偉人がいます。











民俗学者宮本常一です。名著「忘れられた日本人」(岩波文庫:700円)を読んで、日本について考えましょう。







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