江戸っ子でぃ

長崎県五島市に住む老人が、政治に関する愚痴などを書いています。

日本国憲法についての自主学習(その1)

一時期タブー視されていた『憲法改正論議』。最近、にわかに改正を巡る是非論議が起こっています。自民党は、まず、憲法第96条の改正の手続きを緩和するように、と訴え、参議院選挙の公約に入れるかどうかを検討しています。









現在の安倍内閣への支持率を見ていると、それこそ何でも思いどりに行きそうなので、とりあえず、現在の状況なり、興味のある部分なりを自主学習の意味で記事にします。

















憲法改正を訴える人々は、現在、どのような主張をしているのでしょうか。




その1・・・現在の憲法は、GHQに押し付けられたもので、1週間くらいで作られた。


その2・・・外国では憲法改正をしているのに、日本は60年も改正していない。


その3・・・日本の歴史を反映した憲法にする必要がある。


その4・・・国際貢献が出来る国にするためには、自衛隊から一歩出て国軍にする必要がある。


などなど・・・・・





こうした問題をまとめて考える力量のないシカリさんは、何回かに分けて考えることにしました。第1回は、現在の憲法が、どのように押し付けられたのか考えてみます。

















憲法制定に関係ある事柄の整理をしてみました。





1945年8月10日・・・ポツダム宣言受諾の申し入れ


1945年8月11日・・・連合国を代表してアメリカ合衆国より回答


1945年8月15日・・・終戦


1945年9月・・・・・・マッカーサーより近衛文麿元首相に憲法改正の必要性言及


1945年10月・・・・・マッカーサーより幣原喜重郎首相に憲法改正の必要性言及(幣原首相は、憲法問題調査委員会を立ち上げ)


1945年11月11日・・日本共産党「新憲法の骨子」公表

1945年11月22日・・近衛文麿草案公表


1945年11月24日・・佐々木惣一「帝国憲法改正ノ必要」公表


1945年12月8日・・・政府の「松本四原則」公表


1945年12月27日・・憲法研究会「憲法草案要綱」公表


1945年12月28日・・高野岩三郎「改正憲法私案要綱」公表


1946年1月21日・・・日本自由党憲法改正要綱」公表


1946年2月8日・・・・政府の憲法改正要綱(松本案といわれるもの)GHQに提示


1946年2月14日・・・日本進歩党憲法改正問題」公表

1946年2月24日・・・日本社会党「新憲法要綱」公表


1946年3月5日・・・・憲法懇話会「日本国憲法草案」完成














苛立つGHQは、独自の草案作成へ動き出す。






民間草案、共産党社会党の案を除く政府・保守党案は、旧帝国憲法の微調整レベルの案をGHQに提示し交渉を続けたために、2月3日、マッカーサーは民生局長のホイットニーに独自の草案を作成するように命じています。






1946年2月13日・・・ホイットニーらから吉田外相らにGHQ案(のちにマッカーサー草案と呼ばれるもの)を提示。この時、日本側の人々は「はっきりと、ぼう然たる表情をしめし」たそうです。







イメージ 1

<ネットから借りました>









この「ぼう然」の意味は、GHQ案がさまざまな憲法案よりも急進的だったこと以外に、その後の閣議に出席した芦田均厚生大臣は、「もしアメリカ案が発表されたならば、言論機関の多くはこれを支持するに違いない。・・・」という憂慮が語られたことを記録している。







こうした危機感を背景に、それまでの微調整路線を修正し、修正を重ねて、3月4日「日本国憲法草案」をGHQに提出し、6日に勅語を付けて公表されました。















では現在の「日本国憲法」はGHQに押し付けられたのか。






シカリさんは、後付けで誰かを悪者にする卑怯な手法を支持しません。







まず、日本はポツダム宣言を受け入れたのです。さまざまな条件を7月26日に提示され、8月10日に受け入れの回答をしているのです。この事実を受け入れたくない人達は、終戦を拒否し本土決戦をしたかったのでしょうか。







それはさておき、当時のアンケート結果を見れば、押し付けか、そうでないか、分かると思います。







毎日新聞1946年5月27日号掲載のアンケート結果は、現憲法草案を支持85%、反対13%、天皇の権限に関する草案規定を支持する1213人、縮小せよ64人、拡大せよ38人、戦争放棄の条項について必要70%、必要なし28%、となっている。







当時の政府が恐れたのは、こうした民意だったのです。ちなみに、戦争放棄の必要性を否定する割合が高いのは、当時、共産党は戦争を否定していなかったからです。








6月28日の衆議院本会議で、日本共産党の野坂議員の自衛戦争の放棄に反対する質問に、吉田茂総理は「近年の戦争の多くは国家防衛の名において行われたることは顕著なる事実であります。(中略)ゆえに正当防衛、国家の防衛権による戦争を認むるということは、遇々戦争を誘発する有害な考えである」と答えている。









GHQ案は、実は、高野私案など民間の案を取り入れて作られたもので、極めて、当時の日本人の意向を酌んだものだったのです。









現在の憲法を「押し付け憲法」と切って捨てる行為は、戦後の様々な立場の日本人の苦労を愚弄する行為と言えないでしょうか。
















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