江戸っ子でぃ

長崎県五島市に住む老人が、政治に関する愚痴などを書いています。

五色のテープ

今日の記事は、例によって、17日付け長崎新聞うず潮」に掲載されました記事の原文をアップします。















実は、長崎新聞の「うず潮」欄は、今月で終了となります。ということで、今回の記事が最終号ということで、記念すべき記事となりました。










五色のテープ                     


 3月末の福江港は、五色のテープで彩られる。4月からの島外での新生活に臨む人々を見送る光景だ。 今、送られるのは学校の先生や県職員だが、昔は違った。

 昭和30年代から40年代にかけて、「金の卵」ともてはやされ中学卒業とともに集団就職していった子どもたち。
 彼らは、五島各地からバスで福江まで出て、大波止で就職先ごとの集団となり、楓丸や柏丸に乗り込み、見送りの家族や先生・後輩たちから手渡された五色のテープを握りしめて出て行った。
 出て行く彼らは、一様に真新しいオーバーを着て、毛糸のマフラーと手袋をしていた。自立するには、まだ幼いわが子を都会へと送り出す親たちの心遣いは、思い出しても心が痛む。その子どもたちも、やがて、青年となり、大人となり、それぞれに幸せな家庭を築き、盆・正月には、手には一杯のお土産を持ち帰省して、親戚一同にまでお土産を配る姿が、あちこちで見られた。

 昭和40年前後、まだ五島の多くの家庭が経済的に苦しい時代だった。大学どころか、高校への進学率すら50%を少し超える程度。そのような中で、高校に進学できない子供たちの選択肢は少なく、その多くが金の卵として関西へ出て行った。

 今日、生活は豊かになり、交通手段も発達し、本土に渡ることが常の時代。また、子供たちのほとんどが高校に行き、さらに大学進学の道もあることから就業年齢が上がり、子供たちが島を出るということが、特別な感慨を抱くことでもなくなったように見える。
 しかし、送り出す親にとって、子供の自立は特別なもの。
 「元気でいるか、街には慣れたか」という、さだまさしの「案山子(かかし)」に歌われている通りだ。
 この3月、五島を巣立つ若者たち。五色のテープでは送れないが、この五島で育ったことに自信を持ち、学び働き、虹色の人生を手に入れてほしい。そして、たまには親に、メールではなく、電話での近況報告を・・・。







最近の見送りの風景(五島市観光協会のHPより拝借しました。)
イメージ 1
















記念と言えば、今日は娘の結婚記念日。偶然だが、素晴らしい日に掲載していただいた。ありがたい。














まあ、それはそれとして、五島ば出て行くわっかもん(若い人)よい、ぎばれよ!












https://local.blogmura.com/ritou/img/ritou88_31.gif 
にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 離島情報へ

上の文字列「にほんブログ・・・」を応援クリックしてね。(一人1日1回のみ有効です。)よろしく~♪♪