今日、五島市長手町の「平成24年第92回敬老会」が開催されました。 |
間違いなく92回なんです。まずは、式典の次第から紹介します。 |
1、開会のことば
2、国歌斉唱
3、主催者挨拶
4、来賓祝辞
5、来賓紹介
6、敬老者紹介
7、記念品贈呈
8、敬老者謝辞
9、閉会のことば
今年の敬老者は69名で、30数名の方が参加していました。 |
集まっているお年寄りの服装に注目してください。特に、おばあちゃん達の着物姿、凛としているでしょう。歴史を感じさせます。 |
集会所の壁には、敬老者の名札がかけられています。リボンがつけられ、名前には「殿」がつけられています。ちなみに、「敬老者紹介」の時には、町内会の役員さんが、この名前全てを「殿付け」で読み上げました。 |
「新入敬老者」4名に総代から記念品の贈呈です。なお、敬老者全員には別の記念品が贈られました。 |
「敬老者謝辞」は、「新入敬老者」の方がされました。『戦前に生まれ、戦時中から戦後の復興期に青春時代をすごしました。この地区で、10名の仲間が生まれ、3名が生き残っています。』との言葉には、どんな文章にも勝るものがありました。(新入敬老者は4名ですが、1名は他地区からの転入者だそうです。) |
式典が終わり、和やかな食事会の様子です。この後、演芸の披露などもあったようですが、シカリさんは別用のため退席しました。 |
ところで、「敬老会」って、いつから行われているんでしょうか。「ウィキペディア」によると次のようにあります。 |
兵庫県多可郡野間谷村(後の八千代町を経て現在の多可町八千代区)の門脇政夫村長(のち兵庫県議会議員)と山本明助役が1947年(昭和22年)に提唱した「としよりの日」が始まりである。「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」と、農閑期に当り気候も良い9月中旬の15日を「としよりの日」と定め、従来から敬老会を開いていた。これが1950年(昭和25年)からは兵庫県全体で行われるようになり、後に全国に広がった。
この長手町内会の敬老会は、単純に計算して「大正10年」には始まっています。ひょっとしたら、戦時中に中断したことがあるかもしれません。そうすると歴史は、もっと古いことになります。 |
戦争や産業のうつろいの中で、90年以上もこうした行事を続けているのにはビックリです。開会の時の総代さんの挨拶では「長手の絆は日本一」とおっしゃっていましたが、本当に、日本一です。 |