「未来のための江戸学」
親がわが子を虐待し、子が親の死を弔おうともしない。
働く事をせず、親の庇護の元で生きる事を選び、ただ、消費するためだけの人生を選ぶ。
家族を持っても、家族としての生活を送れず、会社の一員としての人生しか送れない。
家庭は、支配する者と支配されるものの再生産システムで、「幸せを繋ぐシステム」ではなくなった。
家庭は、地域で孤立し、繋がらず、無味乾燥な再生産を繰り返している。
親は、子どもに学歴を求め、高所得階層入りを望む。
折角、家族として産まれたのに、子どもたちは、いつも、目標に追い立てられ、家族を実感できない。
明治維新が目指した「文明開化」「近代化」「富国強兵」は、見事にその結果を示した。
誰もが、限界を感じ、疑問を持っているにもかかわらず、走り続ける。
鼻先にニンジンをぶら下げられた馬のように。
「今の日本は、おかしい!」と感じたら、ゆっくり、原点を見つめようではありませんか。
著者:田中優子は、希望を捨てていない。
同書6P
「・・・地方であろうが都心であろうが、私たちが忘れたかのように思っているものが、人々のかかわりの襞(ひだ)の中に、今でも息づいているのである。」
同書245P
「・・・だから、江戸学を未来学としてとらえ、人々のかかわりの襞を見つめなおせば、私たちは、まだ、間に合う。」
「未来のための江戸学」小学館、田中優子著 はじめに 第1章 未来につなぐべきことは何か 第2章 江戸社会と現代社会はどこが違うのか 第3章 江戸時代はなぜできたのか 第4章 江戸の生活と今の生活はどこが違うのか 第5章 江戸時代はなぜ終わったのか おわりに 定価:777円
第1章では、まず、つなげてはならないことを検証している。その後、つなげたい事ととして、「豊かさの本来の意味」「エコロジーの認識」「ボランティアの精神」をあげ、江戸社会での例を挙げながら説明してくれる。
第2章で、江戸時代の認識として「始末」にふれ、あらゆるものには始まりもあるが、当然終わりもある、ということを認識していた、と述べ、際限のない膨張や連続は考えても見なかった、と現代のモンスターのような社会と江戸を比較している。
当時も、世界的なグローバル化の波の中にあったことを示し、その中で、江戸幕府と長崎会所はそのもくろみを出島という作戦で封じ込めている、と指摘している。鎖国ではなく、コントロールしていたのである。
当時も、世界的なグローバル化の波の中にあったことを示し、その中で、江戸幕府と長崎会所はそのもくろみを出島という作戦で封じ込めている、と指摘している。鎖国ではなく、コントロールしていたのである。
第3章では、いかに当時がグローバル化の世界であったからを克明に述べている。その中で、江戸について、外圧によって出来たのではなく、外圧を回避しようとして、従来の拡大主義を収め、自国生産へ転換することで出来たと説明してくれる。
第4章も、とても興味深いものでした。
江戸と現代の生活様式の違いとして、家の構造をあげています。昔の家には、「上がり框(かまち)」「縁側」があり、誰でも気軽に腰をかけ話し込むことが出来た。そのことで、繋がりが出来ていたが、現代の家は、「入れる人」と「入れない人」を区別し、決断を迫られるという表現があった。実に、面白い。さらに、個室はなく、個人に秘密はなかったとも書いている。秘密を持つことについて、公私の区別をしないことで、「私(わたくし)しない」という倫理観が保たれていたと指摘している。
江戸と現代の生活様式の違いとして、家の構造をあげています。昔の家には、「上がり框(かまち)」「縁側」があり、誰でも気軽に腰をかけ話し込むことが出来た。そのことで、繋がりが出来ていたが、現代の家は、「入れる人」と「入れない人」を区別し、決断を迫られるという表現があった。実に、面白い。さらに、個室はなく、個人に秘密はなかったとも書いている。秘密を持つことについて、公私の区別をしないことで、「私(わたくし)しない」という倫理観が保たれていたと指摘している。
第5章で、江戸が終わった事情について、現代の沖縄と同じ事情であった事を教えてくれている。
何でも外国のものを良いと思い込む悪い癖は、明治時代から続いていたようですが、実は、江戸時代には日本は素晴らしい文化を構築していたのです。
この本(「未来のための江戸学」)を読んでいただければ、その一端が理解できます。
他に、古き日本に自信を持っていた人を紹介します。
それは、森鴎外です。
鴎外は、ドイツ留学後、当時の政府の様々な委員を務めていましたが、ある委員会で次のようなやり取りをしています。
<食物改良議論> 他の委員 「米を食ふことを廃めて、沢山牛肉を食はせたい」 自 分 「米も魚もひどく消化の好いものだから、日本人の食物は昔のままが好かろう……」 <……正直に試験して見れば、何千年といふ間満足に発展して来た日本人が、そんなに反理性的生活をしていよう筈はない。……> 日本文学全集:筑摩書房・「妄想」より
つまり、政府の食料改善委員会のようなところで、日本人の食生活を肉中心にしようと言う論議がされたが、鴎外は、「日本人の昔からの食材は消化に良い物だ。」と述べ、何千年と十分に発展してきた日本人が反理性的な生活をしているはずがない、と考えていたと言うのである。
子供達の世代に、ゆったり生きれる土台を残したいものです。 |