江戸っ子でぃ

長崎県五島市に住む老人が、政治に関する愚痴などを書いています。

ええ商売やで、棒手振(読めないでしょう?)

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 ワシのブログ・タイトル「江戸っ子でぃ」と言う割には、江戸の話が少ない。

 来る日も来る日も、お笑いネタか時事ネタ、はたまた五島の良さを伝えようと腕の悪さもデジカメの機能の低さも忘れてアップする写真。
 いつ江戸のネタをアップしたのか、過去の記事を見てみると、なんと昨年12月27日のことだよ。これでは、詐欺といわれてもしようがない。

 と、言うことで本日は、久しぶりの江戸の話。
 わー、シカリさんは、何でも知っているね~、なんて言われるとこそばゆい。それもそのはず、ネタの全てが既に出版されている本からのパクリであるから。
 言うならば、受け売りなのです。

 ところで、タイトルはなんて読むんだろう?

 「ぼう」と「て」と「ふり?しん?」で、なんて読むの?
 正解は、「ぼてふり」。他に、「振売(ふりうり)」とも呼ばれていたそうです。

 それ、何?

 江戸時代の行商人の呼び方。
 それでも、ぴんと来ないかな?
 棒の前後に商品を入れた籠とか桶をぶら下げ、それを肩に担いで売り歩く商売人のことです。これで、少しはイメージ出来ました?

 で、この棒手振の皆さんは、どのような生活をしていたのか。例によって「面白いほどよくわかる江戸時代」(日本武芸社刊)から、全面引用させていただく。本を出版している人がどれほど苦労するのか、少しも気にせずに、パクリまくります。
 棒手振の皆さんの生活は、夜明けとともに始まります。(他の皆さんも同じようなものだったのでしょうが。)
 夜明けには、例の籠を担いで市場に向かい、そこで取扱商品を仕入れします。一人の棒手振が扱うのは、2・3種類の商品で、野菜などを商う人は単品という場合も多かったようです。
 例えば、カブ、ダイコン、レンコン、イモなどを仕入れ、日没まで売り歩くわけですが、仕入額は600~700文(「ぶん」と読まないでね。「もん」ですね。約1万7000円程度だそうです。もちろん、江戸時代のいつの時点で換算するかで違いはあるでしょうが、そこは気にしないで)

 一日、足を棒のようにして売り歩いて、幾らになっていたのか。

 売り上げは、1200~1300文(3万円~3万3千円)ぐらいだったそうです。
 売り上げを持って帰って、まずは日割りの長屋の店賃(「たなちん」と読みますね。つまり家賃のこと。年払いの場合120匁、約20万円だったとか。だから、1日あたり500~600円だったのだろうか。)を支払い、山ノ神に米・味噌代を250文も渡し、ハナタレ小僧に菓子代を12~13文も手渡せば、大喜び。

 次の日の仕入れ代を差し引いて、100~200文(まあ、3千円~5千円くらいだろうか)ほどの残りとなる。これは、酒代にするなり、雨の日のことを考えて貯えたり。売れ残った商品は、当然、その日の夕食の食材とする。

 当時、農民にしろ大工にしろ、年間60日の休みがあったといいます。
 棒手振も同じ日数を働いたとして、年収を計算するとおよそ29両(290万円)になるとか。
 月収24万円です。
 え~~やん。
 彼ら庶民は、「町人」ではなく税金を納める必要もなかった。当然、色んな保証もなかったわけだが、現代のように「死後数ヶ月して発見された。」などということもなかったろう。

 なんせ、米がなくなり、買うお金がないときには、長屋のお隣さんに「ちょっと、米かしておくれ~~」と入れ物を持っていけば、「あいよ~」って貸してくれる。逆に、「醤油ないんだけど、あるかい?」なんて聞かれて、お椀一杯の醤油を持ってくる。
 なんでも、「お互い様」の社会。
 自分だけ良い思いをしようなんて奴は、「とんだケチ野郎だぜ」と嫌われる。分け与え、分けてもらうのが普通の社会だったのである。

 現代の社会と比較すると、エライ違いである。
 どっちの社会が良いと思います?
 もちろん、当時の事を「封建社会」などと呼んでいるわけだから、現代の人から見ると理不尽なことも多かったに違いないでしょう。

 ところが、昔の社会の決定事項には、理不尽でも責任を取る人がいました。
 それは、『殿』を頂点とする支配構造のなかで、それぞれの立場の人が、責任を取る仕組みがあった。
 最悪「切腹」「お家取り潰し」から「藩替え」など、指導者としての責任を果たせなかった場合あるいは、立場を悪用した場合などは倫理に照らして厳しい処分がされた。
 最近は、責任を取る人がいない。

 4・50年前までは、年末になると必ずといって良いほど、経営者の自殺のニュースが新聞に載っていた。理由は、「社員に払うボーナスの金策が旨くいかなかったから。」というもの。
 悲しいことではあるが、責任を取れる人々が経営者であった古き時代である。この時代の人にとっては、祖父母なり曽祖父母が江戸時代の人という、つまり、江戸時代の人間の気概が残っていた時代であろう。

 今日では、経営が苦しくなると平気で従業員の首を切る時代。(自分の経営の結果を他人に負わせるという、みっともない時代)
 なんと殺伐とした社会だろうと、思うのはワシだけだろうか。
 「お金が沢山あれば良い」「社会的地位が上位であれば良い」「モノを一杯持っていれば良い」という価値観の現在の日本。
 なんと、子供っぽい社会なんだろう。
 江戸時代の棒手振たちは、今の日本を見てなんと言うだろうか。