江戸っ子でぃ

長崎県五島市に住む老人が、政治に関する愚痴などを書いています。

長崎の原子爆弾

昭和20年8月9日。


マリアナ諸島テニアンを1機のB29が飛び立った。


そのB29の名前は「ボックス・カー」。


目的地は、(旧)福岡県小倉市






あいにく、小倉の上空は雲で覆われていた。


大きく旋回したボックス・カーが次に目指したのは、


長崎市


長崎は、とても暑い夏。しかし、雲があった。


その雲の切れ間から、大きな物体が落とされた。





やがて、パラシュートが開き、ゆっくり、ゆっくり


落ちてきた。


まるで、真夏のクリスマス・プレゼントのように。





長崎市浦上地区。


浦上教会を中心に形成された町。


その上空で、その物体は正体を現した。





11時2分。


強烈な閃光と爆風。


続いて、途轍もない熱風は長崎全域に広がった。


同時に、舞い上がった粉塵・瓦礫が


上空を真っ暗にした。


やがて、再び全てを焼き尽くす熱風と


焼けた瓦礫が人々を襲った。


目に見ることの出来ない放射線とともに。





その中に、私の母はいた。


偶然にも生き残ってくれて、私の命がある。





昭和20年12月末推計


死 者 74,000名


負傷者 75,000名




負傷者の中の多くが、その後、死亡している。


そこで、途絶えた命達。続かなかった命達。


ご冥福を祈ります。