江戸っ子でぃ

長崎県五島市に住む老人が、政治に関する愚痴などを書いています。

この建造物が物語るもの

今日の五島は、まるでもう梅雨が明けたように晴れている。


ただ、空にはうっすらとガスがかかっている。


梅雨明けではないと思うのだが、第一、梅雨明けには、雷が鳴る。




まだ、今のところ雷は鳴っていない。


と、言うことは梅雨明けはまだなんだろう。


にもかかわらず、暑~い街を車で流していたら、変な建造物が目に留まった。



そのようなものが、あるらしいということは聞いていたが、これ?


ちょっと、車から降りて、パシャ、パシャ。





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明人堂

由来が書いているんだけど

読めるかな?











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明人堂

逆光でちょっと













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詳しい解説が書いてありました。

王直という倭寇が来島し、

ここに居を構えて、活動した。

など、など。













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次は、六角井戸の案内板











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これが、六角井戸です。















五島は、その地勢的環境から、昔から中国などとの交易が

行われていたようだが、天文9年(1540年)突然、明国の

貿易商人汪直と称する者が福江港に大船を乗り入れて、領主

盛定に通商を乞うた、とのこと。

しかし、当時の中国は鎖国政策をとっており、当然、密貿易

を中心とする海賊集団。

盛定は、そのような事はつゆ知らずか、知っていたのかは

定かではないが、喜んで受け入れ、居住区域まで設けている。

そこに住んでいた中国人達が使用した水汲み場が六角井戸。

倭寇は、中国沿岸を荒らしまわった海賊集団であるが、時には

中国内陸部まで入り込み、多くの人々を虐殺したりしている。

ちなみに、汪直は1542年には平戸藩主から招かれて、平戸に

移住したという。



ところで、天文12年(1543年)に種子島に鉄砲が伝来したという

ことが記している「鉄砲記」には、種子島漂着の船中に大明の

儒生五峰がいたと記されているらしいが、この五峰とは汪直の

ことである。

このことから、五島人の一部では、「鉄砲は、種子島より五島に

早ように来ちょったっよ。」という話しがある。

もちろん、早かったからどうと言うことはないのであるが・・・。



そのように思うのであれば、それなりに資料を集める努力をすれば

いいのだが、そのような動きは無い。

なんと言うことはない、イベントの話題づくり程度の思いであろう。

しかし、もっと遠い昔から、日本の歴史に深い影響を与えるような

ことが中継されていたであろう五島。



物質文明が一息ついた今だからこそ、この静かな島に眠る歴史を

ゆっくり掘り起こしてみるのもいいのかもしれない。

物で満たされない人々の心を何が満たしてくれるのか、五島だけで

なく、日本中で考えてよいのかもしれない。


【参考文献】
 五島史と民俗
 著者 平山徳一
 発行 平山匡彦