江戸っ子でぃ

長崎県五島市に住む老人が、政治に関する愚痴などを書いています。

名前でごまかす戦争法案





卑劣さもここまでくればあきれてものが言えない。




しかし、提出者の心の奥を考えると滑稽でもある。




悪さをして、ばれないかびくびくしている悪ガキ。








安保法制は「平安法」?呼称「平和安全法制」に


読売新聞 515()710分配信


 政府・与党は14日に閣議決定した新たな安全保障関連法案について、「平和安全法制」という呼称を普及させようとしている。

 これまで政府・与党では、法案に関する与党協議を「安全保障法制整備に関する与党協議会」と命名するなど、「安全保障法制」と呼んできたが、今月に入ってから、「平和安全法制。略して『平安法』」に呼称を変更した。

 「戦争法案」などと批判する野党側に対抗する狙いがあるようだが、与党内からも「呼び名に頼るのは姑息(こそく)では」(自民党幹部)と指摘する声が出ている。


最終更新:515()710






長崎新聞に「水や空」というコラム欄があります。



社説につぐ位置づけでしょう。



執筆者は長崎新聞論説委員が、日替わりであたっています。



その「水や空」に素晴らしい文章がありましたので、じっくり、味わってください。








「戦争は平和」にならないように


 英作家ジョージ・オーウェルの恐怖小説「1984年」は、国家が国民の意識まで支配する全体主義国家を描いている。支配の手段は、言葉の意味を逆転させて国民に覚えさせる「ニュースピーク」という政策だ。その代表が「戦争は平和である」だ。

 戦争を戦争と呼べば、誰でも避けたがる。だが、戦争を「平和」と呼べば拒否感が薄れる。小説とはいえ、政治が言葉の意味を操る世界は恐ろしい。

 「これではオーウェルの小説の世界と同じだ」と評論家の佐高信さんは言いたかったに違いない。与党の「平和安全法制整備法案」「国際平和支援法案」を、「実態は『戦争協力法案』。平和の一言で国民をだまそうとしている」と批判した(12日付本紙)。

 政府は14日、安保法制法案を閣議決定した。安倍晋三首相は「平和のための法案」と強調した。だが、世界中どこへでも自衛隊が出かけて行って米軍と一緒に軍事行動できるようにする法案が、本当に「平和のため」と呼べるのか。それは一体、戦争なのか、平和なのか、国民的議論が必要だ。

 日本語の意味を定義するのは政治家ではなく、日本国民だ。今、進む道が戦争、平和のどちらにつながるかを判断する権利も国民にある。戦争で血を流すのは国民なのだから。道は国民が決める。(信)

長崎新聞(平成27年5月15日付)・コラム「水や空」





 


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