江戸っ子でぃ

長崎県五島市に住む老人が、政治に関する愚痴などを書いています。

大晦日の子供たち

いや~~、今年もあと1週間を切っちゃいましたね。皆さん、あわただしい毎日でしょうが、しばし、時間を忘れてみてはいかがでしょうか。その材料に、記事をアップします。












本日(26日)付け、長崎新聞うず潮」欄に掲載されましたワシの文章の原文をアップします。ちょっと手を休めて、読んでください。












晦日の子供たち                    


 ずいぶん昔のことですが、大晦日の夜、子供たちには大事な仕事がまかされていました。
いつもより早めの夕食や風呂をすませた私たちは、敷物やお菓子を抱えて公民館へ急いだのです。誰よりも早く行き、よりテレビの見やすい場所を確保するため。親たちは、正月を迎える準備で忙しく、来るのは紅白歌合戦の始まる直前。場所取りをまかされた子供たちは、運よく良い場所をとれたときには、鼻高々で両親が来るのを迎え入れたものです。

 五島市中須地区では、「元日は、火も、お金も使ってはいけない」という言い伝えがあり、正月の準備は大晦日の夜までに全て済ませておく必要があったのです。そのため、特に、母親は忙しく、早い時間に家を空けることはできませんでした。

 この地区でテレビが普及したのは、昭和34年の皇太子(現天皇)ご成婚のあとのこと。学校に続き公民館に設置され、2・3年は公民館通いが続いたと記憶しています。公民館のテレビは、集落で管理しており、視聴時間も制限されていました。それでも、見知らぬ世界を身近に見せてくれるテレビは、私たちにとってあこがれの的でした。

 夜9時前になると、大人たちもそろい公民館はいっぱいの人で熱気に包まれました。大人たちは、白組・紅組のどちらが勝つか、と予想に夢中で、子供たちは、テレビに見入る子、お菓子を食べる子、寝てしまった子など色々。
 2時間半あまりの紅白歌合戦が終わり、公民館を出ると外は雪模様で、川沿いの老松はひかえめの雪化粧で大晦日の夜を飾っていました。
興奮に包まれ家に着くと、コタツで少し体をあたため、布団にもぐりこみ、元旦を楽しみに、それは、それは、幸せな眠りについたのです。
 今年の大晦日。
 煩悩にまみれた私に、かつてのような眠りは望めませんが、全ての子供たちに、あの頃、私たちが味わった幸せな眠りが訪れますよ~に。






















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