江戸っ子でぃ

長崎県五島市に住む老人が、政治に関する愚痴などを書いています。

出来ない事を要求する脅迫言葉「限界集落」

最近、マスコミでたびたび「限界集落」と言う言葉を眼にし耳にする。

一体、ナニ?

 今朝も『サンデー・プロジェクト』で特集が組まれていた。
 『限界集落急増!国土崩壊を止められるか。』
大まかな論旨は、全国に7,878の「限界集落」があり今後10年以内に423のそうした集落は消滅する。
このような集落が発生した背景には、戦後一貫して植林を続け、需要が低迷してもその方針を変え
なかった国策のミスがあり、山地崩壊などの現象が出ているというのである。
一方で、国策に従わず極端な植林をせず、天然林を残し山林を利用した複合経営を進めた結果、「限
界集落」ゼロの地域がある事を紹介していた。
 さらに、「限界集落」の存在は、農業の衰退をもたらすとともに、やがて都市部周辺までその様な
現象が押し寄せてくる、との予測を展開していた。


限界集落とは:ウィキペディアより】

 長野大学教授(高知大学名誉教授)である大野晃が、高知大学教授時代の1991年(平成3年)に
最初に提唱した概念と言われている。中山間地や離島を中心に、過疎化・高齢化の進行で急速に増
えて来ている。このような状態となった集落では、集落の自治、生活道路の管理、冠婚葬祭など、
共同体としての機能が急速に衰えてしまい、やがて消滅に向かうとされている。共同体として生き
てゆくための「限界」として表現されている。「限界集落」には、もはや就学児童より下の世代が
存在せず、独居老人やその予備軍のみが残っている集落が多く、病身者も少なくないという。大野
は、65歳以上の高齢者が自治体総人口の過半数を占める状態を「限界自治体」と名付けた。「限界
集落」は、この定義を集落単位に細分化したものである。 
    <中略>
 もともと、大野の研究では、林業の衰退と再建をテーマにしていた。輸入木材によって国内の林
業は衰退し、山村の人口減と高齢化、それにより手入れの行き届かなくなった人工林(ことに、ス
ギ・ヒノキの針葉樹林)の荒廃。さらには集落そのものの消滅が進みつつあった。大野は集落の実
態調査を進めてゆくうち、その現状を指摘するためには「過疎」という用語では、実態とずれてい
ると思った。そこで、より深刻な実態を指摘するために生まれた用語が「限界自治体」「限界集落」
であった。


【この言葉は、何を求めているのか】

 「限界集落」と言う言葉が生まれた背景は、大野教授が林業と山村の研究をする中で、消滅して
いく集落と出会い、その深刻な実態を指摘することがあったという。つまり、「訴える言葉」なの
である。
 しかし、この言葉そのものには、解決を示唆する何も含まれていない。むしろ、ややもするとその集
落特有のあり方やその集落の歴史を無視し、衰退が問題であるならば、その衰退の原因を曖昧にす
る危険性をはらんでいる。さらに、大野教授自体の姿勢としても、問題があるのではないか。なぜ
なら、専門の林業が犯してきた罪を問うことなく、集落消滅の危険を喧伝した所で何の解決にもな
らないからである。一部では、集落が衰退するから健全な山林が維持できないのだ、という本末転
倒の考え方まで出てきている。
 第一次産業で生産される物の価格とグローバル化した経済が求める価格の差があまりにも大きく、
第一次産業が成り立たなくなったからこそ、農山村は成り立たなくなっている事を忘れてもらって
は困る。大野教授が研究すべきは、林業による新たな価値の創出であるべきだろう。そこから逃避
して、予算獲得のための造語に腐心しても何の解決にもならない。

限界集落を無くす?】

 この言葉に煽られて、あるいはこれを利用するように自治体でも様々な動きが出てきている。そ
の一つが、11月30日に開かれた「全国水資源の里連絡協議会」なる組織の設立。全国136の自治体が
参加しているという。活動としては、活性化に取り組む市町村を支援する「水資源の里再生交付金
制度」の創設を求めると言う。
 はあ?
 水資源を守ることは、確かに大事でしょう。しかし、それと山間僻地の活性化とどのような関係
があるのでしょうか。賑やかな都市近郊の山林は、健全に維持されていますか?
 単に、林業予算確保のための隠れ蓑ではないのですか?裏で、林野庁が動いているのですか?
 その協議会に参加する自治体のトップに問いたい。その交付金を受けることによって、活性化が
出来て、限界集落を無くすことが出来るのですか?国の税金を要求する以上、説明責任があります
よ。さらに、結果責任も出てきますよ。出来もしないことに、まだまだ税金を使いたいのですか?

限界集落の存在は、悲劇か?】

 五島には、多くの小さな集落が存在します。そうした集落には歴史があります。一つは、平家の
落人が人里はなれた所に住み着き、ひっそり暮らし続けてきたというもの。もう一つは、本土での
弾圧を逃れるように五島にやって来たキリシタンの存在です。彼らは、小さな入り江のあちこちに
散居し、静かに信仰を守ってきたのです。このような集落は、最近ではなく、ずっと昔から「限界
集落」だったのでしょうか?消滅寸前の集落だったのでしょうか?ところが、どっこい、存在し続
けているのです。さらに、そうした集落での生活は、悲劇的だったのでしょうか。とんでもない、
自らの信仰を守り続け、物質的には恵まれなくても精神的には豊かな生活が保障されてきたのです。
外部からの眼で、その集落の存在意義まで否定して良いのでしょうか。

 人の離合集散・集落の栄枯盛衰は、時の流れ、人の手による操作の行き届かない所、と観念して
はいかがでしょうか。経済政策による活性化まで否定するつもりはありません。しかし、集落の存
立まで行政が介入することに、むなしさと怖さを覚える。
 かつて、カンボジアポル・ポト政権が行ったような農村への強制移住など日本で行われるとは
思わないが、皮肉なことにそうした事をしない限り「限界集落」の「集落」への転換は望めないの
である。

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廃校になった

黒島分校跡