先月末に川崎市で起きた凄惨な無差別殺傷事件。
引きこもりの人物が起こした事件は、人々の心を震わせた。
数年おきにこうした理不尽な事件が発生しているが、ただ単に、無差別殺人事件と切り捨ているには心に引っかかるものがある。
2008年(1月5日)にも東京都品川区の戸越銀座通り商店街で高校生による通り魔事件が発生したが、その際、シカリさんは次のような記事をアップしている。
ところで、マスコミでは、川崎の事件を「拡大自殺」などと呼んでいるようだ。
拡大自殺。
ネットでは、「死にたいのなら一人で死ね」という言葉が飛び交っているようですが、つまり、多くの人を道連れに死ぬということを、拡大自殺と呼んでいるらしい。
その壮絶な事件の傷も癒えないうちに、またぞろ引きこもりと関係があるとみられる事件が発生した。
元農水事務次官、殺人未遂容疑で逮捕 死亡した長男は近所で「姿見かけず」
毎日新聞、6/2(日) 2:01配信
1日午後3時半ごろ、東京都練馬区早宮の民家で「息子を刺し殺した」と男から110番があった。警視庁練馬署員が駆けつけたところ、男性が1階和室の布団の上で胸などから血を流して倒れており、搬送先の病院で死亡が確認された。同署は男を殺人未遂容疑で現行犯逮捕した。
同署などによると、逮捕されたのは元農林水産省事務次官の熊沢英昭容疑者(76)。亡くなったのは容疑者の長男英一郎さん(44)。「長男を包丁で刺したのは間違いない」と供述している。捜査関係者によると、英一郎さんは仕事をしておらず、自宅にいることが多かった。家庭内で暴力をふるうこともあったという。殺人容疑に切り替えて調べる。
同署によると、熊沢容疑者は妻と英一郎さんの3人暮らし。近所の女性は「息子の姿は全く見たことがない。(熊沢容疑者は)あまり近所では話をしなかったが、腰の低い人だった」と話した。【金寿英、最上和喜】

この事件にかかわる情報もボチボチ出ているが、どうやら引きこもっていた息子がたびたび暴力を振るっていたようですね。
暴力を振るわれていたのなら、なぜ、早く関係機関に相談しなかったんだろうか。
良くあるのが、「恥ずかしくて他人に言えない」というケース。(周囲からはある程度分かっているんですけどね。)
殺されたこの息子にとって、今回の死は、どのような意味を持つのだろうか。
『暴力を振るっていたのなら自業自得じゃないか』と言われるのかな~。
それにしても、何とも凄惨な事件だ。
自立できない我が子と袋小路にはまってしまった親が我が手で子を殺してしまう。
ところで、殺された息子にとっての今回の事件(死)の意味は何だろう。
何らかの理由で社会に出ることが出来ず、いら立ちを胸に秘め、それでも外に出ることが出来ず、やけを起こして家族への暴力を繰り返していたのだろうか。
社会とかかわりを持てない人々。
それは、個々人の資質の問題だろうか。
そのひとの努力が足りないからだろうか。
あるいは、甘えているのだろうか。
【不登校】 小学校・・・2万3927人(全児童の0.34%、平成19年度)
中学校・・・10万5328人(全生徒の2.91%、平成19年度)
【高校中退】 7万2854人(中途退学率2.1%、平成19年度)
【フリーター】 170万人(平成20年度)
【ニート】 63万人(平成24年度)
【引きこもり】 15~39歳 541,000人(平成30年度)
40~64歳 613,000人(平成30年度)
110万人超の人が引きこもり状態にある。
これを個人の努力の問題として切り捨てて良いんでしょうか?
親にとっても、社会にとって「引きこもり」は見たくない状態なのではないだろうか。
そういう意味で、今回の44才の息子の死は、「拡大他殺」と言えるのではないだろうか。
社会にとっても、家族にとっても、見たくない、いてほしくない存在なのだ。
そうした圧力が、様々な葛藤の中で「もう、これしかない」と親に決断させたのだろう。
ある意味、このような方向に導く土壌が現在の日本社会にはあるのではないだろうか。
ところで、家族って、こんな存在だったのか?
江戸時代は、その多くが家業を引き継ぐシステムでもあった。(もちろん、家業を引き継げずに他家の仕事に就いたり、養子に行ったり、様々な形態はあったようだが)
そうした意味で、親の言葉は子どもにとって将来の安定を約束したうえでの実行力のある言葉だった。
しかし、現在では、親の言葉は「絵空事」でしかない。親たちは、子供たちの将来を考えて、知り得る限りの「良いこと」を教える。
しかし、子どもたちは、ある年齢になるとその欺瞞に気づく。
もちろん、江戸時代とて親の言葉をいつまでも無条件に受け入れていたわけではない。
成長とともに子どもたちも自らの価値観を持つようになり、親の価値観といざこざを起こす。
これは、ある意味、必然と言えるのではないだろうか。
そこで、昔は、次のようなシステムが構築されていた。
若者組
若者組(わかものぐみ)とは、伝統的な地域社会において、一定の年齢に達した地域の青年を集め、地域の規律や生活上のルールを伝える土俗的な教育組織である。若者衆、若者仲間、若者連中など、また集まる場所を青年宿、若衆宿,若者宿,若勢宿,寝宿,泊り宿,若宿,おやしょ,若イ者部屋,小屋など、地域によっても様々の名称がある。類似の風習は日本のみならず、世界各地の伝統社会に存在する。
近世において、地域社会の構成員を教育する場として確立したと考えられ、地方では明治以降も多く引き継がれていたが、公教育の普及に伴い衰退・消滅していった。
加入と脱退
若者組への加入・脱退の決まりは大きく2つに分けられる。 1つは、その村の男子全員が加入するというタイプで、多くの場合は結婚を機に脱退する。もう1つは、各戸から1人(長男)だけが加入するというタイプで、多くの場合、結婚ではなく一定の年齢に達すると脱退するというものであった。
いずれの場合も、一定年齢(10代半ばくらい)に達すると加入する。若者組を卒業したものは、地域社会で一人前のメンバーという事になる。加入や卒業の際に、厳しい試練を課する事もあった(加入儀礼)。イスラム社会では、通過儀礼として割礼が施される地域もある。
活動
年長者がリーダーとなり、後輩たちに指導を行った。若者宿、若衆宿などといわれる拠点があり、そこに集団で寝泊りする場合も多かった。村内の警備や様々な作業を行ったり、共同で集まり親睦を図った。特に祭礼では、若者組のメンバーが子供組を指導して中心的に運営を行う場合が多かった。また交際上必要となる飲酒・喫煙の指導、さらに村内の恋愛、性、結婚を管理する側面を持ち、リーダーが各自に夜這いを指示して童貞を捨てさせることも行われた。男性の若者宿に対して同じ年頃の女性が集まる娘宿の存在する地域もあり、この場合、双方の交流によって結婚相手を探すという意味があった。
衰退
明治時代以降、教育勅語に基づく全国的に統一かつ組織化された青少年教育の必要性が自覚され、また夜這いの風習などが、西洋の思想の影響を受けた教育者などから因習として倫理的な批判を受け、若者組は衰退していった。地域によっては青年団などに再編され、現在もその名残を保っている。
このシステムは、言うならば「共育」システムだ。
明治以降の国家による全体教育は、こうした自主的な共育システムを破壊してしまった。
昔の人々は、家庭教育の限界や、藩校・道場などの教育機関での限界を悟っていて、青年宿のような自主的な共育システムを作っていたのだろう。
もちろん、こうしたシステムがあった昔でも無業者はいた。
昔の無業者は、一般的に「ごく潰し」と言われ、でも、なぜか明るく、堂々と遊びまわっていた。
しかし、現代の無業者は、地域社会からも家族からもはみだし、限られたスペースでかろうじて生きている。
現代の家族や地域社会は、若者たちに「仕事」「安らぎ」などを与えることと無関係で、ただ、面倒な責務を与える機関でしかない。
そして、一度脱線した若者たちにとって、地域社会や家族は「刺さる視線」を送る人々でしかない。
ワシ等は、何という社会を築いてきたんだろうか。
もちろん、引きこもりと言う現象は日本だけのものではない。
日本の厚労省の引きこもりの定義は、「さまざまな要因によって社会的な参加の場面がせばまり、就労や就学などの自宅以外での生活の場が長期にわたって失われている状態」とされている。
まあ、そのような形態なんだろうということだ。
一方、オーストラリアでの定義は、「安心できる場所に退避する状態」となっている。
なんと温かい定義なんだろう。
日本とオーストラリアの人々の「引きこもり状態の人」への視線の質が違うことが如実に表れていますね。
このままの日本で良いんですか?