江戸っ子でぃ

長崎県五島市に住む老人が、政治に関する愚痴などを書いています。

安倍政権にとって交通事故の一つや二つもみ消すことは何でもないし、マスコミも同調してくれます。(池袋暴走事故)


4月の池袋での暴走事故をめぐる報道での呼称問題や、逮捕されないことへの国民の不満が大きくなってきていますね。
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この現象は至極自然なことだと思います。

そんな中、呼称問題に対してマスコミの代表みたいな形(?)で読売新聞がその理由を説明(言い訳)しました。


容疑者でなく元院長、加害者の呼び方決めた理由

読売新聞、5/10() 17:01配信


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 4月19日に発生し、12人が死傷した東京・池袋の暴走事故から5日間で、読売新聞は読者から100件近いご意見を頂戴しました。その大部分は、事故の加害者である「旧通産省工業技術院の飯塚幸三・元院長」の表記に関するご指摘でした。

 最も多かったのはこうしたご質問でした。「2人も殺しているのだから容疑者ではないか」「(加害者が)入院して逮捕されていないからといって、この人がやったことに間違いないではないか」。このような内容です。

 ちょっと回り道をしますが、読売新聞に「容疑者」が登場したのは30年前です。それまでは逮捕された人(法律用語では被疑者といいます)は呼び捨て、刑事裁判中の人には「被告」を付けていました。

 1989年12月1日の読売新聞は<呼び捨てをやめます>と宣言し、容疑者を使い始めました。<刑事裁判の被告人に「被告」を付けながら、捜査中の被疑者を呼び捨てにすることには矛盾もある>。つまり、容疑者の使用は、(1)「逮捕された人=犯罪者」という印象を与えるのを防いで人権を尊重すること、(2)加害者の刑事手続き上の立場をはっきりさせること、を出発点としました。

 辞書では、容疑者は「犯罪の容疑を持たれている人」(広辞苑)と広く定義しています。ただ、新聞が容疑者と呼ぶのは、原則として、逮捕や指名手配、書類送検をされる等、刑事責任を問われた人の法的な立場をはっきりさせる目的があります。そして、容疑者と名指しするからには、容疑の内容をきちんと読者に提示する責任が生じます。

 今回の事故でいえば、元院長が事故を起こしたのは事実でしょう。でも、逮捕や書類送検はされていません。事故後、元院長は入院したため警察はきちんと説明を聞くこともできなかったようです


つまり、「容疑者」の法的立場にはまだないこと、本人の正式な弁解もなく容疑の内容をきちんと提示できるには至っていないこと、これらが容疑者を使用しない理由でした。

 こちらも多かったご指摘です。「加害者を擁護する記事だ」「肩書で罪が軽くなるのか」……。SNSで「元官僚という『上級国民』だから逮捕されない」という誤った言説が拡散されたからか、国家権力への不信によるものかはわかりませんが、思わぬ反響だったので驚きました。加害者をひいきする心づもりは一切なかったからです。

 「容疑者」を使わない場合、事故によっては「飯塚さん」という敬称を用いることはあり得ます。ただ、横断歩道を渡っていた母子を含む12人が死傷した事故で、加害者に敬称を付けるのは心理的な抵抗があります。敬意を表す「飯塚氏」も同様です。

 そして、元院長は、過去のこととはいえ、元通産省幹部という社会的立場の重い公職に就いていた人物です。

 他紙を見ます。最初は「飯塚さん」と表記した朝日新聞毎日新聞東京新聞と、「男性」「男」と匿名だった日本経済新聞産経新聞は、すべて「元院長」に切り替えました。

 読売新聞社会部は、呼称が変化した理由を5紙に取材しました。朝日、毎日、東京とも、飯塚元院長の過去の職歴を確認できた時点で「さん」から肩書に切り替えたとの回答がありました(日経、産経は「総合判断した」との回答にとどまりました)。

 呼称は報道機関が独自に判断します。それでも、加害者に敬称を使うのは避けたかったという意思がくみ取れます。

     ◆

 事件事故の報道では、加害者の年齢や肩書、被害者との関係、被害の大きさと捜査状況等によって呼称は変わります。正答を必ず導ける便利な計算式はありません。仮に、池袋の事故の加害者が要職に就いた経歴がなければ、「さん」を付けるかどうか悩んでいたでしょう。少年だったり、通常の判断ができない精神状態だったりすれば、匿名を選択することになります。

 そして、この悩ましい選択は社会に伴って変化します。ご意見をいただいて気になったのは、「容疑者=犯罪者」という感覚の広がりです。犯罪者の印象を避けるために使い始めた「容疑者」が、30年たって犯罪者の代名詞のようになってしまっているとすれば皮肉です。

 呼称や敬称の使い方にとどまりません。社会的制裁の手段にならない報道と責任ある報道をどう実現するか。報道に携わる人が悩み続けるべき問題だと考えます。(社会部デスク・足立大)


 
この読売新聞の記事に対して様々なコメントが寄せられていましたが、代表的な意見をコピーして貼り付けます。(上の記事、下のコメントでの下線はシカリさんが引きました。)



大変言い訳めいた記事だと思います。
逮捕されてないとしても、別の記事で元警察のコメントがありましたが、被疑者であることには変わりなく、被疑者が一番適切な表現だと思います。
何故、その表現をせめて使用しなかったのでしょうか?
全くわかりません。
いずれにしても、報道各社は現在この事件の報道を、ほぼしていませんでした
車のアクセルが戻らなくなった嘘が暴かれ、事故直後には、被害者のことはそっちのけで、自分を最優先して息子に電話していた、人道に反する輩です
謝罪さえしていないとのこと。
必ず有罪にすべきです。
絶対にこの事件を風化させないよう、きちんと報道して欲しいと思います。
報道の義務として、亡くなられた女性やお子さん、残されたご主人のこと、何より、最優先に考えて欲しいと思います。


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シカリさんもは「犯人」と表現するのが適切ではないかと思いますね。

読売の主張は、一般的事件や車同士の衝突などのように事実関係を調べないと「犯人」を特定できない場合のことで、とても今回の暴走犯罪に適用できる見解ではないように思います。

挙句の果てに、読売は『「容疑者=犯罪者」と言う感覚の広がり』などと問題のすり替えを図っています。

今回の池袋暴走事故の場合、争いようのない事実が多くの人々によって認定されている。

報道の一部では、「一般人が裁くことではない」などという論調すらありますね。

しかし、次のような法律もあるんですよね。


212

現に罪を行い、又は現に罪を行い終った者を現行犯人とする。

左の各号の一にあたる者が、罪を行い終ってから間がないと明らかに認められるときは、これを現行犯人とみなす。    

    1. 犯人として追呼されているとき。
    2. 贓物 (ぞうぶつ)又は明らかに犯罪の用に供したと思われる兇器その他の物を所持しているとき。
    3. 身体又は被服に犯罪の顕著な証跡があるとき。
    4. 誰何 (すいか)されて逃走しようとするとき
213
現行犯人は、何人でも、逮捕状なくしてこれを逮捕することができる。


現行犯人の逮捕は、司法警察職員に限らず、逮捕状がなくても一般人問わず誰でも、行うことができるとされている。私人(常人)逮捕は犯人が、現に犯行を行っているか、行い終わったところに限る。また現行犯については逮捕して身柄を確保する必要が高い上に、誤認逮捕のおそれがないためである。私人逮捕を行うには次の条件を満たす必要がある。


<ウイキペディアより>

被疑者(ひぎしゃ)とは、捜査機関に「犯罪を犯したのではないか」と疑われて捜査中かつ公訴を提起されていない者。日本法上の法令用語。


「被疑者」と「被害者」の読み方が似ているので報道機関は「被疑者」を容疑者(ようぎしゃ)と表現している。



捜査の必要もない現行犯である以上、「容疑者」「被疑者」でもない「犯人」ですよ。

ただ、肋骨にヒビが入っているという犯人を実に手早く現場から引き離し、警察病院でなく一般病院に入院させてしまったことから、色々と難しくなってしまいましたね。

この飯塚幸三と言う犯人とその妻は、若いお母さんとその子供や多くの犠牲者を心配することもなく、息子に電話をして自分のことだけ心配している。

そして、その息子から誰に電話が言ったのか知らないが、官僚のトップたちが現場に駆け付けるという手配の良さである。

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この二人は、安倍内閣のブラック部門の実働部隊。

あらゆる不正や事件をもみ消してきている。そして、マスコミ対策もその一部。現在の日本は、こうした一握りの連中によって抑え込まれているのである。

実に、見事にマスコミは報道しない。

飯塚幸三は、やがて「認知症」の診断を取り付けて無罪放免となるんでしょうかね~。

ちなみに、本人はもとより、家族からも一言も謝罪の言葉も発信されない。それどころか、これまで公開されている様々な情報をなかったことにしようとしているというんだからビックリだね。(例えば、電話の解約。所属していた団体からの退会手続き)

こうした手続きは、息子なり弁護士がしているんでしょうか。

いずれにしても、これほど大きな犯罪が、またしてもうやむやに葬り去られようとしていることに怒りを覚える。

ただ、ネット上などで「上級国民」なる呼称が出回っているのには強い違和感を覚えます。それを言うならば「支配階級」と言うべきでしょうね。

安倍内閣の日本の歴史上での犯罪がまた一つ積み重ねられている。経済も外交も成果は上がらないが、身内のための政治・司法・行政の私物化の実績だけは確実に積み重ねられている。