昭和天皇の末の弟の三笠宮さまが都内の病院で27日朝、亡くなられました。100歳でした。学問や国際親善など幅広い分野で活躍される一方、戦時中、所属された陸軍には批判的な姿勢を示しました。
東京・中央区の聖路加国際病院に入院中だった三笠宮さま。心不全のため、27日朝、亡くなられました。100歳でした。
「謹んで哀悼の意を表する次第であります」(加地隆治 宮務主管)
三笠宮さまは、今年5月、急性肺炎のため入院。その後、肺炎の症状はおさまったものの、高齢に伴う心臓の機能の低下が認められたため、5か月以上にわたり、入院生活を続けられていました。そして27日朝、容体が急変し、妻の百合子さまが看取られたということです。
「ご年齢から来る心機能の低下の進行に対してはいかんともしがたく、崇仁親王殿下におかれましては、本日午前8時34分に薨去されました」(名川弘一 皇室医務主管)
三笠宮さまは、大正4年、1915年12月2日生まれの100歳。昭和天皇とは14歳違いの末の弟で、天皇陛下の叔父にあたります。太平洋戦争中は陸軍の「参謀」として、中国・南京の総司令部にも赴任されました。自叙伝の中には、当時の陸軍について赤裸々に語り、批判する記述が残されています。
「私は日本軍の残虐行為を知らされました。兵隊の胆力を養成するには生きた捕虜を銃剣で突きささせるにかぎると聞きました。『聖戦』のかげにじつはこんなことがあったのでした」
戦後は中東などの古代オリエント史の研究者として活躍し、東京女子大学では教壇にも立たれました。
「日本の歴史というものが、粉飾されて教えられてきたわけなので、もっと世界の歴史を知らなくてはいかんと」
学問だけではなく、国際親善やスポーツなど幅広い分野で活躍されました。フォークダンスを踊られる三笠宮さま。ダンスの名手としても知られています。さらにはスケートリンクでのダンスまで。また、最近まで、日本・トルコ協会の名誉総裁を務め、両国の親善に力を尽くされました。
「トルコと日本は、古くから大変、友好関係を保持しておりまして、大いに誇っていいことじゃないかと思います」
家庭では、百合子さまとの間に三男二女をもうけられました。たくさんの家族に恵まれましたが、三男の高円宮さまはおよそ14年前に急逝、長男の寛仁さまも長い闘病生活の末、4年前に、二男の桂宮さまも2年前に亡くなられました。
三笠宮さまのご遺体は、午前11時すぎに赤坂御用地にあるお住まいの宮邸に戻られました。
三笠宮さまの皇位継承順位は5位でしたが、三笠宮さまの逝去で皇位継承の資格のある人は4人に減り、天皇と皇族からなる皇室は19人となりました。
そして、午後5時ごろ、天皇・皇后両陛下が弔問のため赤坂御用地に入られました。三笠宮さまは陛下の叔父にあたり、宮内庁によりますと、両陛下はたえず三笠宮さまのご様子を気にかけられていたということです。これに続き皇太子ご夫妻も弔問されました。
宮内庁によりますと、三笠宮さまの逝去を受け、天皇陛下と皇族方は、それぞれ7日間から90日間の喪に服されるということです。27日夕方、予定されていた陛下とフィリピン大統領との会見や、来月1日に予定されていた秋の園遊会なども取りやめとなりました。
今後、納棺にあたる「御舟入」や、葬儀にあたる「斂葬の儀」など一連の儀式が、行われる見通しです。(27日17:33)
ここにある言葉の重みは、現代の政治家の全て、マスコミ関係者には、特に、深く深く刻み込んでいただきたい。
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