江戸っ子でぃ

長崎県五島市に住む老人が、政治に関する愚痴などを書いています。

「自然」という言語認識の定着過程についての一考察(下の1)


「下」で完了予定でスタートしたのに、文字数の関係で予定通りにいかずに、「の1」という形で延長をさせていただきます。「下の2」くらいで終了すると思います。


「自然」という言語認識の定着過程についての一考察(下の1)


同文学全集には、「『マクベス評釈』の緒言」(明治24年10月)も納められているが、この中に於いて坪内は明確に「自然」という言語を日本に紹介する意志を表明している。


 193P
…・此の故にジョンスン、コールリッヂ以来、シェークスピヤの作を評して自然の二字を用ひざりし者は稀なり。…・・


  つまり、シェークスピアの文学を評価・表現するには、「自然」と言う言葉が必要だったのである。
この緒言は約5,500文字で書かれているが、その中で「自然」を15回、これに対応する(つまり在来の表現として)「造化」を13回使用している。 


区 分
使用頁
表  現  実  例
 
 
 
 
 
 
新言語によ
る表現
 
192P
自然に似たる
193P
 
自然に似たり
自然といふものを観よ
自然は只、自然にして、
自然を憤りて
自然の本相なり
自然の風光の
自然の二字を
自然の有りのまま
194P
自然の宝石
自然の宝石
自然の霊光
自然に肖たれば
195P
自然に肖て
 
 
 
 
在来言語に
よる表現
 
 
 
 
 
 
 
192P
造化に肖たる
193P
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
造化を怨み
造化を情深き慈母のやうに思ひ
造化の作用
造化にあてはめ
造化といふものは
造化の法相
造化の本意
造化の本体
造化に似たり
造化の本性
造化の捕捉して解釈しがたき
造化に似て




                                                                                                                   

































比較して明らかなように、相対する表現事例を丹念に並べ「造化」から「自然」に切り替え理解できるように工夫されている。

しかも、これまで形容詞として使用されてきた「自然」が、名詞として使用されていることも注目に値するし、重要なことである。





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