江戸っ子でぃ

長崎県五島市に住む老人が、政治に関する愚痴などを書いています。

「自然」という言語認識の定着過程についての一考察(中)






「自然」という言語認識の定着過程についての一考察(中)


6、(やな) () (あきら)による翻訳語の研究


  柳父章著『翻訳語成立事情』(岩波新書)という本を入手したのは、200211月のことである。第1版は、19824月となっている。この本を早い時期に入手していたなら、私は、「自然」という言語の成り立ちについて、それほど悩むことはなかったに違いない。
「まえがき」と10の章で構成されるこの著書では、「自然」という章が設けられ、その章の副題は「翻訳語が生んだ誤解」となっている。
 第7章にあたるこの章は、次のように8項による構成となっている。


    一 混在する二つの意味
    二 すれ違いの論争
    三 natureと「自然」、意味の比較
    四 「自然」は名詞でなかった
    五 三つの分野の「自然」  
    六 「自然淘汰」はおのずからの淘汰、だった
    七 意味の混在は気づかれにくい
   八 日本語「自然」における意味の変化


1項では、「じねん」と翻訳語の意味の混在について概説し、2項で明治22年の巖本善治と森鴎外の「文学と自然」をめぐる論争についてふれ、3項で伝来の「自然」とnatureの使われ方の違いを詳しく説明している。
さらに、4項においてnatureが「自然」と翻訳されたのは、『波留麻和解』(1796年)であり、オランダ語natuurが「自然」と書かれていることを紹介し、『英和対訳袖珍辞書』(1862年)では、「天地自然」とは「天地がおのずからしかる」という意味で、名詞ではなく形容詞であり、『仏語明要』(1864年)において初めて名詞として登場しているが、これは例外であり「自然」が翻訳の影響で名詞として扱われるようになったのは明治20年代以後のことであると記述している。
  柳父章は、この第7章で完璧に翻訳語としての「自然」という言語の成り立ちを解説してみせ、この言葉をめぐる混乱についても分析している。
 この本によると、初めて「自然」を名詞として記載した辞典として『漢英対照いろは辞典』(1888年・明治21年)をあげている。名詞として扱われるようになった原因として、「・・・nature翻訳語となることによって、名詞とみなされるようになってきた・・・」としている。いずれにしても、翻訳の必要性から使用されるようになったのである。
明治14年の『哲学字彙』、明治18年の坪内逍遥の「小説神髄」、明治21年の『漢英対照いろは辞典』、さらには明治22年の巖本善治と森鴎外の論争と様々な図書への掲載や当時の先駆的人々による論争に使用される中で「自然」に対する問題意識が芽生え、日本の知識人の大きな話題となっていったのであろう。
 ところで、この過程で重要な働きをしている森鴎外について、翻訳語成立事情』は「早稲田文学の後没理想」(1892年)から次のような文章を参照し評価を加えている。


・・・没をも常の無といふ義にとらるゝときは、造化に永劫不滅のものなきやうに解せらるべし。・・・・・・古今の哲学者及審美学者が用ゐなれたる理想の語は矢張その用ゐなれたる義に使はるゝこと止まざるべく、・・・


柳父章は、この中の「・・・古今の哲学者及審美学者が用ゐなれたる理想の語は矢張その用ゐなれたる義に使はるゝこと・・・」という表現から、「・・・『哲学者及審美学者』が用いているから、それは『常の義』なのだ、という考えである。・・・およそ、ことばの意味は、『哲学者及審美学者』がきめるのではない。・・・鴎外のこの逆転したことば観を、逍遥もまた反論できなかった。・・・」(翻訳語成立事情・78~79P)と指摘し、森鴎外自身が「自然」という言葉を自らのものとして論争していたのではなく、「西欧の識者がそういっているから、そうなのだ」という決め付けで議論し、同じく理解が不足していた巖本善治や坪内逍遥は、この森鴎外の論法を打ち破ることが出来なかったと分析している。
さらに、言葉の意味について、「・・・学者や知識人がことばの意味をどう定めようと、単なる記号ならいざ知らず、現実に生きていることばは、少数者の定義で左右できるものではない。・・・」(翻訳語成立事情・78P)と指摘している。
私は、先に引用された鴎外の文章の中に「造化」という言語が使用されていることからも、柳父章の指摘のとおり、鴎外自身が「自然」の意味を十分認識していたものではないことを実感している。つまり、他者との論争の中においては、西欧の識者の定義を援用し、「自然」を明確に定義しているにもかかわらず、自らの言葉としては「自然」ではなく「造化」を使用しているのである。ただ、こうした現象は鴎外のみならず、当時の知識人たち全般に言えることであることは、この『翻訳語成立事情』に詳述しているので一読されることを薦める。



7、坪内逍遥と「自然」


さらに、この時期における「自然」という言語の定義と使用実態の変遷を見てみたい。 
具体的に、当時の和英辞典なり英和辞典では、どのように解説されていたのだろうか。
英和辞典が日本に登場するのは、長い制限外交(一般には、鎖国と言われている)の時代を経た江戸時代末期のことである。当時、長崎を窓口として海外と交流をしていた日本にとって、オランダ語が唯一有効な西洋の言語であった。
しかし、イギリス・アメリカ等の艦船が寄港する機会が増える中で、オランダ語のみでは対応できなくなり、長崎に於いて本木庄左衛門が中心になり日本で初めて英語辞典を編纂したのが文化8年(1811年)のことである。
私は、長崎県立図書館所蔵の『和英語林集成・第二版』(JCヘボン、明治20年11月出版・日盛館)を参照することとした。
この辞書の初版本は慶応3年(1867年)に出版されており、横浜在留の医師ヘボンの編纂で、外国人の手による最も古い和英辞典である。
この辞書は、本編に於いてはローマ字表記にカタカナの読みが付けてあり、さらに後編では英語から日本語を引くようになっている。
「自然」に関係する数項を列記する。


《本編》
UMARE-TSZKIウマレツキ
Nature
TENNENテンネン、天然
Naturalproduced oreffected by nature,
   of itselfspontaneous
           SynSHIZEN
SHIZENシゼン、自然
Spontaneouslyof itself
of its own accordnaturally
of course
                 Synおのずから
  《後編》
NaTuRUL  Umaretszki-no
生まれつきの、あたりまえ
当然、disposition本性


NaTuRALLY、 生まれつきに、全体
 gwanrai
 自然、生得sh o ( - )toku)  


NatuRE、  Sh o ( - )性   
質、生まれつき
性質sh o ( - )-aisei     


この辞書では、「自然」とは「生まれつき、元来、当然」といった意味合いで定義されており、今日、私達が一般的に理解している「自然」と比較すると、意味合いがやや狭義である。
ところが同じくヘボンの編集による同館所蔵『和英英和・五林集成』には、「nature」の訳として次のように表記している。


 NATURE n
性(Sh o ( - ))、質、生まれつき、
性質、Sh o ( - )ai、性(sei
持ち前、万有(bany u ( - ))、
宇宙(uch u ( - ))、天理(tenri


この辞書は、第5版で明治27年2月13日に丸善株式会社書店から発行されているが、第1版は明治21年5月1日出版である。
日成館の「和英語林集成」では見られなかった、「万有・宇宙・天理」という熟語が含まれており、名詞として分類されている。
さらに当時の国語辞典で確認すべく、同館所蔵『和漢雅俗・いろは辞典』(明治22年2月出版)及び『言海・第2版』(明治24年12月出版)を調べてみた。


『和漢雅俗・いろは辞典』
しぜん(形副) 自然、おのずから、おのずと
しぜんたうた  自然淘汰、おのずからえりわける
  こと(進化論の説にて優れる者適
  する者は自然に盛んに成り劣れる
  者は自然に亡ぶるを謂ふ)
じねん(形副) 自然(しぜん)、おのずから
言海
しぜん(副)  自然  オノヅカラ
天然ニ


てんねん(名) 天然 自ラ然ル
                                          シ ゼ ン
自然


これらの辞書では、「自然」について「おのずから、天然」と同義語として取り扱っている。
つまり、老子の言葉のように、人の生き方、人の心のあり方を論ずる哲学的意味合いの範囲を出ていない。
このような時代背景の中で、坪内逍遙は「小説神髄」を表し、「自然淘汰」という熟語を使用しているのである。
この時点で、坪内が「自然」をどのように理解していたのかを確認する意味で、『日本文学全集』(筑摩書房)により「小説神髄」を通読し、関係する表現を拾ってみた。


  108P
…自然にして、其用ふる言語の如きも成るべく平滑流暢
にて……
  117P
…是れしかしながら優勝劣敗、自然淘汰の然らしむる所、
まことに抗しがたき勢ひというべし。……
  120P
…自然の趣きをのみ写すべきなり。…中略…其人情と世
態とは己に天然のものにあらず、……
  122P
…造化の文才を人に附与ふるや、其性質と運命とは何等
の自然の機関によりて(ジョン・モーレイの言の引用)
  125P
…つとめて天然の富麗をうつし、自然の跌宕を描き……


この中で、坪内はたびたび「自然」という言語を使用している。しかし、そのほとんどが「おのずから」といった意味の形容詞として使用されており、今日的意味合いでの「自然」としては使用していない。
ただ、「自然淘汰」以外に「自然の機関(しかけ)」という表現も使用しており注目に値する。
つまり、西洋の言葉として、「自然淘汰」「自然の機関」を使用しているのである。
では、「自然」に対応する表現として、どのように表現しているかというと「天然」「造化」「天地万象」「森羅万象」「活世界」という言葉を使用している。


104P
…天然不測の力…中略…天然と生存との……
  123P
…造物主は天地万象を造りて私なし。……
…造化の翁が造りなしたる活世界は極めて広大無辺にし
て、……
  181P
…紙上の森羅万象をして活動せしむる……


前出の文学全集によると、坪内は安政6年(1859年)に岐阜県に生まれ、17歳の時には英語学校に於いてアメリカ人レーザムからシェークスピアの講義を受けている。
明治13年、22歳の時には、早くもスコットの「ランマムーアの新婦」の一部訳を出版し、25歳になると「ジュリアス・シーザー」を完訳している。
小説神髄」は、坪内が27歳の時(明治18年)に出版したもので、明治文学の端緒となったものである。
坪内はシェークスピアの影響を強く受けており、シェークスピアにかかわる文献を学習する中から「自然」という言語を身につけたものと推測できる。(つづく)



文字数の制限からか、予定通りにアップできませんでした。(表をアップする予定でしたが、出来ませんでした。次回、完結できるかな~。)


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