江戸っ子でぃ

長崎県五島市に住む老人が、政治に関する愚痴などを書いています。

旧正月だから、と言うわけではありませんが・・・・。









今日は、旧暦12月29日。






普通なら、明日は12月30日でしょう?







ところが、明日は、旧暦1月1日。つまり、お正月なんですよ~~。





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おめでたいですね~。




めでたいことは、年に何回あっても良いですよね。




あ、ところで、30日と31日は、どこ行ったの?




晦日なしのお正月と言うのも、なんだか、落ち着かないですね。




まあ、いいか。正月は正月だから、お祝いしないとね。




ところで、皆さんは、こんな形でお正月を2回祝ったことがありますか?




ワシが幼いころまでは、新暦で正月を祝ったり、旧暦で祝ったりしていましたね。




これには、事情があるのです。ワシの故郷は、近くにキリスト教の人たちが住んでいる集落もあって、キリスト教の人たちは新暦で正月をお祝いするわけ。そこに、仏教徒でも親しくしている人たちを招待して、お正月を祝ったわけです。




そして、御招きをいただいた仏教徒の家庭では、御返しに旧暦の正月にキリスト教徒のお友達を御招きしてみんなで祝ったというわけです。




江戸時代に禁教令によってキリスト教の人たちが弾圧を受けて五島の色んな所に隠れて暮らしていた。というのが通説ですけど、実は、五島藩キリスト教徒と知りながら、大村藩の農民を受け入れ、農業に従事してもらったという記録があります。




もちろん、仏教徒の人たちとは距離を置いた生産性の低い土地を与えていたみたいです。この人たちを受け入れる際には、表向きは仏教徒を装わせるために、寺の帳簿に名前を書かせ管理していたということです。




で、一般の人々の関係はと言うと、仲の良い人たちは仲が良いし、そうでもない人たちはそうでもない、という関係が続いていたのでしょうね。




これを、棲み分け、と言えばいえるのでしょうね。




明治維新直後、新政府が弾圧をするという時期がありましたが、それ以外の時期は、お互いに穏やかな時間が流れていたのです。




五島におけるキリスト教の歴史を見る時に、この日本人特有の「あいまいさ」「見て見ぬふりをする」大人ぶりを抜きには考えられないと思います。




その流れが、先に書いたお正月を招待しあってお祝いする風習として生きていたのでしょうね。現在は、どうなっているか知りませんが。




とにかく、おめでとうございます。今年もよろしくお願いしますね~。




ところが、シカリさんは諸事情により8日より3週間ほどお留守にします。お元気で、お忘れなく。グッドラック。





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