江戸っ子でぃ

長崎県五島市に住む老人が、政治に関する愚痴などを書いています。

取り返せない20年の時の流れ








この20年、ワシは何をしていただろうか?色々ありすぎて、思い出せないくらいだ。




まあ、仕事に追われていたのは、すぐに思い出せる。仕事の関係で転居もした。やがて、娘が結婚して、孫が生まれたな~。そのうち、息子も結婚をし、孫が増えた。可愛い孫たちとまごまごしているうちに、定年退職となり、終の棲家に移り、現在の貧乏生活になったわけですね~。





あ、そういえば、8年前には、この愚痴だらけのブログを始めたんだ~。色んな人にお世話になったな~。ブロ友さんたちと楽しいお食事会もしたな~。楽しかったな~。





じっくり考えると、20年と言うのは本当に長い。







東住吉女児焼死再審 釈放された青木さん「娘に助けてあげられなくてごめんねと伝えたい」


 産経新聞2015.10.26 15:00


「娘に助けてあげられなくてごめんねと伝えたい」。大阪市東住吉区で平成7年、小学6年の女児=当時(11)=が焼死した火災で、無期懲役刑が確定後、再審開始が認められ、逮捕から20年ぶりに釈放された母親の青木恵子さん(51)が26日午後、服役していた和歌山刑務所(和歌山市)前で、報道陣の取材に応じた。


 午後2時ごろ、弁護団の運転する車に乗って同刑務所を出ると、集まった支援者から「お帰り」と拍手が送られた。車から降りて報道陣の前に姿を見せた青木さんは「弁護団や支援者、皆様のおかげです。ありがとうございます」と目に涙を浮かべながら感謝の言葉を述べた。


 この日は、亡くなった長女のめぐみさんが好きだったという黄色の服と、髪を束ねる黄色のシュシュを身につけた。「娘がこの青空のどこかから、今の私の姿を見て『ママ良かったね』と言っている声が聞こえます。ずっと見守ってくれてありがとうと伝えたい」としっかりした口調で語った。報道陣から今一番したいことを問われると、「娘のお墓に行きたい」と答えた。


 無実を信じてくれた長男(29)の誕生日が今月24日だったことに触れ、「遅れたけど、20年分の誕生日を祝ってあげたい。もう一度20年前の当時からやり直したい」と話した。

 




青木さんにとって、一番悲しいのは何だろう。娘の墓の前で、仏壇の前で、ゆっくり、手を合わせる暇もなく警察の取り調べに対応しなくてはならなくなったことではないでしょうか。




冤罪は、許されない。ただ、簡単にそんなことも言えません。日本は、世界でも有数の治安のよい国。その治安を守っているのは、まぎれもなく警察官。きわどいギリギリの事件事故と日夜向き合って、ワシら国民の生活の安全を守ってくれています。




そんな中で起きた不幸な冤罪事件。どのような経過があるのか知らないが、初動段階で、もっと、慎重な捜査は出来なかったものだろうか。なにか、捜査を急がせるような背景があったのだろうか。それよりも、昔ながらの自白に頼った捜査手法が、こんな最悪の結果を生んだのだろうか。意図的に犯人に仕立て上げられるというのは、この事件の場合考えにくい。そうなると、色んな不幸が重なって犯人に仕立てられたと思うしかない。




20年と言う月日の流れは、あまりにも重い。取り返しがつかない。




今回冤罪が晴れて釈放された二人は、その20年を埋めるために、どのような思いをするのだろうか。どうか、静かに、自然に、その落差が埋められることを祈りたいものです。



こうした過ちは、二度と繰り返してほしくない。そのためには、やはり、尋問などの記録をキチンと画像で残していただきたいものですね。どこで間違いが起きたのか、起きるのか、その抑止力として残していただきたい。



それにしても、ありがたかったのは、このお二方を支え続けた人々がいたという事実。本人や家族だけでは、絶望のあまり、何も手が付かないと思いますが、多くの人々が支えてくれたおかげで、この20年間戦い続けられたのではないでしょうか。



安全を守ろうとする過程で過ちを犯すこともあれば、その過ちを正そうとする人を支える人々がいる。そして、このように成果を出している。日本と言う国の人々の力は、政治家たちの空理空論と違い、実に素晴らしい。そう実感しました。



政治家と言う種族をなくして、国民が直接政治を実行できるようになったほうが、余程、素晴らしい国になるんじゃないかと思いますね。



お二人に、これから先、静かで幸せな時間が流れることをお祈りいたします。






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