江戸っ子でぃ

長崎県五島市に住む老人が、政治に関する愚痴などを書いています。

憲法制定過程の状況を証明する新事実発見!!

憲法論議のかなり重要な部分に影響を与える(と思われる)新事実を発見しました。













最近、ひょんなことから民俗学に興味を抱いたシカリさん。その大御所である宮本常一のエッセー集を読んでいて、とても、興味深い一文を発見しました。













いわゆる政治系の本でないので、なかなか注目されないと思うのですが、偶然、気づいたのです。














その前に、現行憲法の制定過程についての記事を読んでください。






















問題は、現行憲法アメリカの押し付け、という主張は正しいのか、という点にかかることです。















発見した文章に登場する人々から説明します。















登場するのは「先生」、「幣原さん」「私」です。
















「私」は言うまでもなく宮本常一です。次に、「先生」は宮本の師匠で当時大蔵大臣を務めていた澁澤敬三のことです。それで、「幣原さん」というのは、戦後最初の総理大臣・幣原喜重郎のことです。














澁澤敬三 


東京帝国大学経済学部を卒業後、横浜正金銀行に入行してロンドン支店などに勤務。 1926年(昭和元年)に第一銀行へ移り、副頭取などを経て1942年(昭和17年)に日本銀行副総裁、1944年(昭和19年)には第16代総裁に就いた。

第二次世界大戦直後、姻戚の幣原喜重郎首相(幣原の妻・雅子と敬三の姑・磯路は姉妹)に乞われて大蔵大臣に就任。およそ半年の在任中に預金封鎖、新円切り替え、財産税導入など戦後の激しいインフレーションの処理に当たった。渋沢家はGHQ財閥解体の対象となり、1946年(昭和21年)に公職追放の指定を受ける。 自ら導入した財産税のため、三田の自邸を物納することになった。追放解除後は、経済団体連合会相談役、国際電信電話KDD。現KDDI)社長、文化放送社長、高松宮家財政顧問などを務めた。

並行して、若き日の柳田國男との出会いから民俗学に傾倒し、三田の自邸の車庫の屋根裏に、二高時代の同級生とともに動植物の標本、化石、郷土玩具などを収集した私設博物館「アチックミューゼアム(屋根裏博物館)」を開設(第二次大戦中に日本常民文化研究所と改称[2])。アチックミューゼアムに収集された資料は、東京保谷民族学博物館を経て、現在の大阪吹田の国立民族学博物館収蔵資料の母体となった。常民文化研究所は神奈川大学に移管された。
自らも民俗学にいそしみ、漁業史の分野で功績を残した。

「ウィキペディア」より




































文章は、「私」と「先生」の会話を中心としていますが、戦後の状況を見て回った宮本が澁澤の自宅に報告に行き、役所(大蔵省)から帰宅した澁澤の話からスタートしています。














・・・かえってきた先生は「幣原さん(当時首相)は大変なことを考えておられる。これから戦争を一切しないために軍備を放棄することを提唱しようとしておられる」と興奮気味に話された。

 「軍備を持たないで国家は成り立つものでしょうか」とおたずねすると「成り立つか成り立たないかではなく、全く新しい試みであり行き方であり、軍備を持たないでどのように国家を成立させていくかをみんなで考え、工夫し、努力することで新しい道がひらけて来るのではないだろうか。一見児戯に等しい考え方のようだが、それを国民一人一人が課題として取組んでみることだ。その中から新しい世界が生まれてくるのではなかろうか」といわれた。これは実にむずかしいことである。しかし日本人としてやらねばならないことではないかと思った。・・・

【日本図書センター刊「宮本常一民俗学の旅~」143~144Pより】














当時の要職にある人の興奮ぶりが良くわかると思います。見たことも聞いたこともない「非軍備国家」を目指すという幣原首相の方針に、周囲の人々は胸を躍らせていたのです。













現在の日本のスタート地点は、ここなのです。







この記事を拡散していただけないでしょうか。















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