江戸っ子でぃ

長崎県五島市に住む老人が、政治に関する愚痴などを書いています。

泊り宿

フリーのシカリさん、のんびりしていたら、もう年末ですやん。年賀状作らないと、と思ったら新しいパソコンにはソフトが入ってないし・・・・てなことで、焦っています。










毎度、堅苦しい記事のアップで申し訳ありません。先日(10日)付け、長崎新聞うず潮」欄に掲載されましたワシの文章の原文をアップします。ヒマがありましたら、読んでください。












泊り宿(若者宿)                    


 昨今、若者にまつわる暗いニュースが実に多い。
 いじめ、引きこもり、高い離職率、衝動殺人など。つい、「最近の若者は」と言いたくなるが、では、青年時代の自分はどうだったかというと、他の若者同様、家族や大人たちを振り回す迷惑青年だったことを思い出す。

 昔のことだが、五島には「泊り宿」(若者宿とも言う)という若者育ての仕組みがあった。記録によると、若者たちは十五歳になると地区の青年会に入会し、昼間は生家の仕事をし、夜になると宿に集まり寝泊まりをした。宿は、地区の人望厚い人の家を青年会が指定し、数名ずつ泊り、礼儀作法・人生観の習得や農漁業の技術伝承などが行われ、火災や急患発生時には出動もした。

 「泊り宿」は、戦前までは続いていたが、今では、それを知る人は少ない。
明治32年、文部省訓令が出され、開化思想の普及を目的に夜学会が開催され、青年教育の形が作られていった。つまり、地域での「学び合い」から、国による「教育」へと大きく転換し、地域が支えた「泊り宿」は暫時姿を消した。

 五木寛之が、さまよう若者をテーマにした小説「デラシネの旗」を発表したのは1969年。デラシネとは、フランス語で「根なし草」のこと。
 当時、高校生だった私は、その表現に感慨にふけったことを記憶している。
 農村の過疎化が始まり、根を張るべき地域を失った若者たちがさまよい始めた時期だ。

 時代は変わっても、人が青年と呼ばれる年頃は同じ。また、その年頃の心理も。親と正面から向き合うのは面(おも)はゆく、つい横を向いてしまう。しかし、親への信頼・尊敬の念は胸深くにある。そこで登場するのが、地域の名士。親代わりに、さりげなく人生や生業の学びに寄り添う。若者の心理をつかんだ絶妙の仕組みと言える。
 地域で、ゆっくり若者を育んだ「泊り宿」。昔話として葬り去るのはもったいない。

















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1970年頃の若者たち・・・。何してんの?って感じ?













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