【読物】 『使い捨て家族』その16
「第十六話 我が家へ」 |
高志からの暴力に耐えながらの生活の中で、昇は強い罪の意識に駆られるようになっていた。 『俺の判断が間違っていたんだ。高志が言ったように五島で仕事をさせていれば、貧しくても静かに生活が出来たのかもしれない。幸子も無理をしなくても良かったんだ。あの家で、みんなで静かに暮らせたのに・・・。なのに・・・。』 昇は、全て自分の思い込みから不幸を招き、幸子を死なせ、高志を追い詰めてしまった、と考えるようになっていた。 自分の責任と思いつつも、度重なる高志の暴力に、つい感情的になることもあり、怖くなる昇であった。 ただ、2・3週間に一度は小百合からの電話で、いくらか心が安らぐ昇であったが、心が晴れることはなかった。 昇は、自分を責める気持ちと、高志との生活への不安とで自分自身が追い詰められていることに気づいていた。 平成23年4月27日。 昇が仕事から帰ると、高志は自分の部屋から出て、タンスの上の幸子の写真を細かく引き裂いていた。 「何をしているんだ!」 昇は、珍しく大声を出した。同時に、精一杯の力で高志を突き飛ばした。そのあと高志がどうなったのか見ることもなく、幸子の引き裂かれた写真の切れ端を集めていた。 ふいに、頭に強い痛みが走った。高志が何かで昇の後頭部を殴ったのである。倒れこんだ昇の前に、高志が仁王立ちになっていた。 「親父、あんたはお袋のことを本当に大事に思っていたのか?あんたは自分が一番大事だったんだよね。自分の思い通りにしてきて、お袋に苦労させて、死なせてしまって・・・。写真に手を合わせても、取り返しがつかないんだよ!」 そこまで言うと、今度は、昇を蹴りながら罵るのであった。 「大学に行けば、安定した生活が出来るなんて、とんでもない話しだよ。俺みたいな役立たずを大学にやって、お袋に無理させて・・・。俺は、みんな消したいんだよ。お袋の写真も見たくないし、台所にいるあんたも見たくないんだよ!」 昇は、無意識に高志を蹴った。丁度、高志がさらに蹴りを入れようと右足を上げた瞬間に、左足にあたった。バランスを崩した高志は、のけぞりかえり天井を仰ぐようにひっくり返った。ゴン。鈍い音がした。 昇が我に返ると、目の前には、倒れた高志の体が横たわっていた。 後頭部からはおびただしい血が流れ、天井を睨みつけるように倒れていた。昇は、必死で人工呼吸を試みた。しかし、その努力も無駄であった。昇は、途方に暮れ、思わず毛布を高志の体にかぶせ手を合わせた。 その夜は、昇は幸子の骨箱を抱き、一晩中、高志の遺体を見つめていた。 やがて、夜が明けると、家族の写真アルバムや思い出の品を荷造りし、小百合に送った。 昇は、1枚の家族写真と幸子の骨箱をリュックサックに入れアパートを出た。 大阪駅から11時前に出る米原行き電車に乗り、新大阪駅で博多行きののぞみ17号に乗り換えた。さらに博多で乗り換えた昇は、午後4時前には長崎駅についていた。 長崎駅から右へ出ると、大波止ターミナルを目指して歩いた。大波止までの海岸通りは、すっかり変わっていた。車道は広くなり、歩道も街路樹が植えられ綺麗に整備されていた。 昇は、大波止ターミナルでは、知った人に会わないように隅っこで小さくなっていた。しかし、その風貌で昔の昇とわかる人がいるはずもなかった。 長崎を夕方の5時に出たフェリーは、8時25分には福江港に着いた。 15年ぶりの福江の夜景は、幾分、寂しく見えた。 『幸子、帰ってきたよ。』 昇は、リュックサックを胸に抱き、今はなき幸子に語りかけていた。 福江港のターミナルから出て、右方向に川沿いに歩く昇に、4月の風は少し冷たく感じられた。 福江川を少し上ったところにある明人堂に着くと昇は足を止めた。見つめる先には、昔の面影もない住宅街が広がっていた。そこから、さらに上流に歩き、昔からある県の出先機関の建物の所から橋を渡り住宅街に入った。 昇が目指す先は、昔とは違い住宅がびっしり並んだ町になっていた。道の両脇の家々からは明るい電灯の光が漏れ、テレビでも見ているのだろうか、賑やかな音がかすかに聞こえていた。 昇は、気づかれないように1軒の家の裏へ回った。敷地の中は、暗くてわからないが草だらけのようだった。 手探りで勝手口に打ち付けてある板を外し、中へと入ると、その部屋の家具の引き出しからローソクを探り出し、マッチで火をつけた。 ぼんやりと見える家の中は、どこか窓が壊れているのか、窓際には蔓が伸びているのが見えた。道路沿いにある居間を目指して歩いていると、横から何かが飛び出してきた。 猫のようだった。 居間は、少しカビ臭かったが、畳はしっかりしていた。腰を下ろした昇は、揺れる明かりを頼りに部屋のあちこちを眺めていた。 『私は、この家も、家族も、台無しにしてしまった。一生懸命、生きてきたようで、結局、何も残らなかった。』 腰を下ろして一時すると眠気に襲われ、ローソクの火を吹き消すと、その場に寝てしまった。 何時間、寝たのだろうか。 少し寒気を感じて眼を覚ました昇であったが、外は、まだ暗かった。再び、ローソクに火をつけると、その明かりを頼りに押入れから何かを引き出しだした。 ひと抱えもある箱を二つ出すと、ロープを外し、箱の蓋をあけた。 一つの箱からは武者人形が、もう一つの箱からは雛人形セットが出された。昇は、二つの人形セットを床の間に並べた。 その頃には、外は、すっかり明るくなっていた。 次に、リュックサックから幸子の骨箱を出し、人形達の前に置いた。 『ほら、幸子。子供達が待っていてくれたよ。嬉しいね。僕も、もうすぐ君のところに行くからね。』 床の間に並べた人形達を、何時間眺めていたのだろうか。 やがて、昇はゆっくり家の中を見て回った。 ひと部屋、ひと部屋、立ち止まり、何か呟きながら。おそらく、家族との思い出に浸っていたのだろう。その思い出は、無意識に昇の口をついて出ていたのである。 一回りして居間に帰ると、いつ来たのか、黒い猫が昇を睨みつけていた。 昇は、ハンカチを取り出すと、何かを書き始めた。書き終えたかと思うと、ハンカチと家族写真を幸子の骨壷の中に入れた。 今度は、人形の箱をしばっていたロープを片手に、台所から持ってきた木箱を鴨居の下に置いた。 柱につかまりながら木箱に登った昇は、ロープを鴨居に通し、やがて、そのロープに首を通すと、木箱を蹴った。ガタン。 その音に驚いたのか、台所に移動していた黒い猫が飛び跳ねた。その瞬間、横に置いていた火のついたままのローソクを倒していた。
第十五話 冬の別れ
第十四話 新しい家族
第十三話 引きこもり
第十二話 屈辱
第十一話 転出
第十話 思い出
第九話 妻の病気
第八話 絶望
第七話 妻の仕事
第六話 高志の進学
第五話 子供の成長
第四話 夢のマイホーム
第三話 町内会長の憂鬱
第二話 火事現場には
第一話 真昼の火事
第十四話 新しい家族
第十三話 引きこもり
第十二話 屈辱
第十一話 転出
第十話 思い出
第九話 妻の病気
第八話 絶望
第七話 妻の仕事
第六話 高志の進学
第五話 子供の成長
第四話 夢のマイホーム
第三話 町内会長の憂鬱
第二話 火事現場には
第一話 真昼の火事