「第十三話 引きこもり」 |
幸せにも、不幸にも尺度はない。 会社の倒産で、とんでもない不幸に見舞われたと思っていた昇であったが、そこはまだ、不幸の入り口でしかなかった。 大阪駅で昇と幸子を迎えてくれた高志であったが、就職して2年半ですっかり痩せてしまっていた。 「あんた、ちゃんと食事している?」 幸子は、思わず高志に聞いていた。 「食べてるよ・・・。」 「それにしても、随分、痩せたね~。」 それには答えず、乗り換えの阪急電車のホームに向かった。アパートは、阪急宝塚線で十数分の三国駅のすぐ近くにあった。 昇たちの部屋は、高志の部屋のすぐ上であった。先に送っていた荷物は、部屋の中に、雑然と置かれていた。 「疲れたね。今日は、ご飯でも食べて、片付けは明日にしよう。高志、近くに知っている食堂とかあったら行こうか。」 「俺、要らないよ。」 「そう言うなよ。お母さんだって、久しぶりにお前と食事がしたいんだから。」 アパートから駅のほうに戻った所にある商店街の食堂に入った。 『親子三人での食事は、何年ぶりだろう。』 そう思いながら食べる昇の横で、幸子はしきりに高志の暮らしぶりを聞いていた。 「仕事、きついの?」 「・・・・・」 「まだ、残業続いているの?」 「・・・・・」 「ご飯とか、自分で炊いているの?」 「ああ・・・。」 もともと大人しい高志ではあるが、ただ無口と言うだけでなく、幸子の問いかけに関心を示さず無表情なまま、出された定食を食べているのであった。 次の日。 昇は、朝早くから荷物の片付けに精を出していた。 「あなた、下で物音がしない?」 高志の部屋で、物音がするというのである。ベランダに出て、じっと耳を澄ましてみると、確かに、何か音がしている。高志なら、とうに出勤している時間であった。 昇は、小走りに階下の高志の部屋に向かった。部屋をノックすると、以外にも高志が出てきた。 「お前、会社は?」 「・・・・・」 「休みなのか?」 「やめた・・・。」 高志の回答に昇は、絶句した。一瞬、立ち尽くした後、高志の手を引いて部屋の中に入った。 「辞めたって、いつのことだよ。」 「先週・・・。」 「何があったんだ?」 「・・・・・・」 「何かミスでもしたのか?」 「別に・・・・。」 「じゃあ、なんで辞めるんだよ。」 「・・・・・・」 どうにも要領を得ない。昇は、退職して日が浅いから無理もないかと諦め、部屋に帰った。 部屋に帰ると、不自由な体で幸子は衣類などの片づけをしていた。 「なんだったの?」 「ああ、高志が・・・今日は、休みだって・・・。」 「そうですか。後で、行ってみようかしら。」 「いや、やめとけよ。疲れているみたいだったから。」 その日は、幸子に悟られることはなかったが、次の日には知られてしまった。しかし、幸子は高志を責めるでもなく、ただ、黙って高志の背中を撫でていた。 10月になり、昇は新しい仕事に通いだした。 幸子も、少しは回復し、不自由ながらも家事を出来るようになっていた。ゴミ出しや買い物などは昇がするものの、料理や洗濯は幸子がしてくれるようになった。 二人の生活は、順調に滑り出したものの、高志の引きこもりは益々ひどくなっていた。同じアパートで暮らすようになった頃は、食事などの時には昇たちの部屋に来ていた高志であったが、10月中旬になると食事にも来なくなった。 食事を運ぶ昇を見向きもせず、ただ、虚ろにテレビを見ていたり、ゲームをしていたり、窓の外を見ていたりしていた。 昇の我慢も限界に近づいていた。 「高志、いつまでこんな生活しているんだよ。次の仕事を探さないと、生活出来ないだろうが。ハローワークに行ってみたらどうだ?」 「仕事?・・・・・」 「お母さんも心配しているから・・・。心配かけるなよ。」 「・・・・・・」 「折角、大学まで出ているんだから、ちゃんと仕事探すんだぞ。わかっているのか?」 「大学?ふ、大学を出たところで、この程度だよ・・・。」 「そんな言い方は、ないだろう。お母さんだって、俺だって必死で働いてやったんだから。」 「苦労して大学にやっても、この程度なんだよ・・・。」 「『この程度』ってことはないだろう。お母さんのためにも、ちゃんと仕事をしてくれよ。わかったな。仕事を探すんだぞ。」 その夜、高志の部屋から大きな物音が聞こえた。 『何だろう?』 気にはなったものの、時間も遅かったので、そのまま寝てしまった。 次の日の朝、食事を運んだ幸子は、高志の部屋の荒れように驚いた。壁のあらゆる所がボコボコにへこんでおり、テレビも壊れていた。 「高志、これどうしたのよ。」 「・・・・・」 高志は、返事もせず幸子を睨みつけていた。幸子の目の前にいるのは、以前の高志ではなかった。 幸子は、つい怖くなり不自由な足取りで逃げ帰った。 「あなた、高志の様子が変なのよ・・・。」 涙をボロボロ流しながら、昇に訴える幸子だった。昇は、出勤の時間であったが、高志の部屋に行った。 『こ、これは・・・・』 部屋の様子に絶句した昇は、高志に声をかけることなく、ドアを閉め仕事に向かった。刺激したくなかったのである。昇には、原因がわかっていた。ただ、昨日のやり取りで、これ程、高志を追い詰めることになるとは予想外のことだった。 昇は、仕事から帰ると、真っ先に高志の部屋に向かった。高志は、寝ていた。部屋を片付けて、外に出ると、隣りの部屋の人に呼び止められた。 「あんさん、この部屋の人でっか?」 「いえ、ここは息子が住んでいるんですけど・・・。」 「あのな~。夜中に大きな音を出されて、えらい迷惑なんやけど。今度、同じことあったら大家さんに話して出てもらいまっせ。」 「すみませんでした。静かにするように言いますので、今回は勘弁してください。」 これ以来、昇は高志に就職を勧めなくなった。 何が原因で退職したのか、何が原因でここまで心を閉ざしてしまったのか、全てわからないまま、昇と幸子は、息子が壊れていく姿を見ることになってしまった。
第十二話 屈辱
第十一話 転出
第十話 思い出
第九話 妻の病気
第八話 絶望
第七話 妻の仕事
第六話 高志の進学
第五話 子供の成長
第四話 夢のマイホーム
第三話 町内会長の憂鬱
第二話 火事現場には
第一話 真昼の火事
第十一話 転出
第十話 思い出
第九話 妻の病気
第八話 絶望
第七話 妻の仕事
第六話 高志の進学
第五話 子供の成長
第四話 夢のマイホーム
第三話 町内会長の憂鬱
第二話 火事現場には
第一話 真昼の火事