江戸っ子でぃ

長崎県五島市に住む老人が、政治に関する愚痴などを書いています。

【読物】 『使い捨て家族』その9

「第九話 妻の病気」


 会社が倒産した次の日、昇は思い切って幸子に倒産の事を話した。

 
 幸子の肩が、ビクッと動くのが見えた。
 昇は、この話が幸子にとってどれほど残酷な話しなのか十分に分かっていた。うつむいたまま幸子は、何も応えなかった。

 「三ヶ月は失業保険が出るし、すぐに次の仕事を探すから大丈夫だよ。心配かけてすまないね。本当に、大丈夫だから。」

 「はい。」

 手の甲で涙をぬぐうと、幸子は仕事に出かけた。


 平成7年の年明けは、静かなものであった。
 小百合も福岡に就職し、昇と幸子の二人だけの正月となり、昇の会社の倒産のこともあり、沈んでしまうのも仕方ないことだった。


 不幸は、なぜか続くものである。
 事務用品会社が倒産した後、昼はスーパーでのパート、夜は清掃のパートで家計を助けていた幸子であったが、そんな無理が長く続くはずもなかった。
 失業保険が貰えるのもあとわずかになった昇は、ハローワーク通いをしていた。
 昇がハローワークから帰ると、清掃のパートに出かける準備をした幸子が、台所の椅子にもたれてぐったりしていた。

 「どうしたんだ。」

 「めまいがひどいの。それに、目の前に幕がかかったようで、見えにくいの。」

 「疲れているんだよ。今日は、休みなさい。布団を敷くから、動くんじゃないよ。」

 これまでなら、『大丈夫よ。』と言って出かけるのであったが、この日は、全く動けなかった。
 布団を敷いて、移そうと手を貸したが、動く気配もなかった。

  ・・・普通じゃない・・・

 昇は咄嗟に消防署に電話をし、救急車の出動を頼んだ。
 五島でもっとも大きな総合病院である五島中央病院は、昇の家から遠くはなかった。
 夕方の病院は、わずかな見舞い客と、交代勤務のために出入りする職員の姿が見られるだけであった。

 幸子は、ベッドに寝せられたままで脈拍や血圧を測ったり問診が行われていた。他に何か施す様子もなく、昇は、ただ様子をじっと見守っていた。

 「ご主人、脳梗塞の疑いがありますね。CTとか詳しく検査をしますので、時間がかかりますよ。それに、検査が終わっても、安静にする必要がありますので、このまま入院していただきますね。」

 「脳梗塞・・・。」

 30分も待っただろうか。昇は、医師に呼び込まれた。

 「やはり、脳梗塞ですね。でもね、無理をさせずにこちらに搬送されたので良かったですよ。これでね、少し無理をしていたら、危なかったですよ。奥さんの病状は、これ以上、急変することはありませんから、ご主人は帰られて結構ですよ。」

 幸子を病院に残し帰宅する昇に、冷たい川風が吹き付けていた。病院の前の川沿いの桜も、蕾のまま暖かい春を待っているのであった。

 次の日、ハローワークで職探しをした後、再び、病院を訪れ病室に行くと、幸子は、少しは落ち着いた様子で、笑顔で迎えてくれた。

 「入院が早くて良かったみたいだね。少し不自由だけど、我慢せんばね。」

 「すみません、心配かけちゃって。」

 「俺こそ、幸子にこんなに苦労させてすまなかったね。あ、今日ね、仕事が見つかったよ。警備の仕事で、勤務時間もきちっとしているし、給料もまあまあだから、心配せんで良かよ。」

 「あの、入院のことは高志や小百合には教えんでね。」

 「うん。・・・・」

 後の言葉が出なかった。
 幸せになろうと、あれほど誓ったのに、目の前の幸子は、苦労の連続ですっかり老け込み、脳梗塞という病気になるまで無理をさせてしまった。
 昇は、幸子の髪を、そっとなでると病室を出た。涙を見られたくなかったのである。そのまま病院の屋上に駆け上がった昇は、しゃがみこんで声を殺して泣いていた。

 その日、たった一人の家で、昇は夕食の準備もせず、ただ、ぼんやり窓の外を眺めていた。
 昇たちが、この家を新築したときには、周りは水田ばかりだったのに、今では、あちこちに家が建てられていた。

 『あの頃は、良かったな・・・。周りは静かで、家の中や、会社は活気があって・・・。なんか、みんな幸せになれると思えていた・・・。』

 幸子が、退院したのは三週間後のことだった。
 この日は、昇は仕事を少し早めに切り上げさせてもらい迎えに来た。担当の医師や看護婦さんにお礼を言うと、玄関まで来てもらったタクシーに幸子を乗せた。
 タクシーが、病院の敷地の外に出ると、川沿いの桜が満開になっているのが眼に入った。

 「ほら、綺麗ね。」

 幸子は、嬉しそうに指差して桜を眺めていた。

 『どんな思いで眺めているのだろうか・・・』

 そう思うと昇は、また、涙が溢れるのを止められなかった。
 住み慣れた家の玄関に入ると、幸子は大きく呼吸をした。

 「あー、やっぱり自分の家が良いわね。」

 三週間ではあるが、お互いとても長く感じていたのだった。







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