【読物】 『使い捨て家族』その8
| 「第八話 絶望」 |
平成6年8月。 昇の会社では、社長の不機嫌な日が続いていた。 命の綱である公共工事を、今年は一つも落札出来ていなかったのである。この年に予定されている主な工事の最後の入札を控え、昇は社長に同行するよう命じられた。 行き先は、市内大手建設会社の社長室だった。 「今日は、何ごとですかな?」 いかにもゆとりのある態度だった。それに比べ昇の会社の社長は、妙におどおどし、笑顔にもならない愛想笑いをしていた。 「山村君、あれを社長にお出しして。」 昇は、言われるまま手提げ袋を差し出した。 「珍しいものが入ったもので・・・。少しですけど、奥さんに食べていただきたいと思いまして。」 ・・・・・ 少し、気まずい沈黙が続いた後、昇の会社の社長が切り出した。 「次の入札のことなんですけど、なんとかうちに譲っていただけないかと思いまして・・・。礼金200万ということで、いかがなものでしょうか。」 「君は観光事業もやっているから、工事の方はそんなに必要ないんじゃないの?」 「いえ、本業はこっちですから。ところが、こちらが今年はさっぱりで。」 「そうですか。わかりました。お互い様ですからね。200万ということで結構です。」 昇には、横に座っている社長の表情が、緊張から安堵に変わっていくのがはっきりわかった。 入札で落札するためには、他にも4社の競争相手を説得する必要があったが、この大手の社長を説得出来たことで、大きな関門を超えたことになるのだった。 つまり、談合を了解してくれたのである。 案の定、他の4社は、それぞれ礼金100万円ということで話しがついた。 この数年、市内では公共事業の減少が顕著になり、建設業者の中には他の業種に転換する会社が増えていた。多くの会社は、老人ホームや障害者支援施設などへの転換を図っていたが、昇の会社は地元のバス会社と連携してリゾート施設を作り観光事業に乗り出していた。 入札会には、いつも昇と社長の息子が参加していた。今回も二人で会場に現れ、数件の小さな工事の入札をこなしていた。 本命の工事の入札は、一番最後であった。工事費は8千万円程度の道路整備工事だった。昇たちは、あらかじめ決められた金額を記載し、入札書を提出した。 しばらくして、落札者の発表が行われたが、落札したのは昇の会社ではなかった。 会場が、少しどよめいた。 落札したのは、昇の会社と同じ規模で、今年になって工事量を増やしている会社だった。約束を破られた形だが、それを責めることもできない。なにせ、裏の約束だから。 社長の息子は、急いで会場を出、社長に連絡を入れていた。 昇と社長の息子は、会社へ帰ったものの居場所がなかった。社長に報告をしても、社長は二人を叱るでもなく、ただ、力なく椅子に座っていた。事務室でも、他の社員達は、二人に気を使い近づかないのであった。 ・・・そんなに切羽詰まっているのだろうか。・・・ 昇には、会社全体の状況はわからなかった。この数年、工事は減っていたが、なんとかボーナスも少しは貰えていたし、軌道には乗っていないが観光事業も始めていたからである。 最後の入札を失敗して以来、社長は金策に走り回っていた。しかし、本業でも不振続きで、新たに手を出したリゾート施設も安定せず、どの金融機関も相手にしてくれなかった。 当然、高利の金融にも手を出していたようで、返済を求める電話がひっきりなしにかかっていた。 11月頃になると、電話での催促では埒が明かないと思ったのか、怪しい風体の男達が社長室に出入りするようになっていた。この頃になると、社内では諦めに似た空気が流れ、『いつだろうか』と噂が流れるようになっていた。 その年の暮れ、恐れていたことが起きてしまった。 会社の倒産である。 社長は、十数名の社員を集め、深々と頭を下げた。昇は、社長のくたびれ果てた姿を見るのが辛かった。高校を卒業して入社して以来、なにかと親父のように面倒を見てくれていたのであった。 「みんな、すまない。私も、努力をして来たが、もう、限界だ。今日、これから裁判所に清算の手続きに行く。これまで、一生懸命に働いてくれたみんなを守れずに、本当に申し訳ない。家族を含めると大変な人に迷惑をかけることになってしまった。私としては、当然、全ての資産を処分して、少しでもみんなに迷惑をかけないようにと考えている。どうか、勘弁してくれ。」 誰も、何も言わずに、社長と息子を見送った。 その日も、夜の清掃のパートから帰ってくる幸子のために、遅い食事を準備する昇であった。 昇は、幸子が家に帰っても、何も言えなかった。 家のローンや、高志の大学進学で新たに出来た借金は、無職となった昇には、どうしようもない額だった。 幸子が食事をするのを背に、テレビのある部屋に向かう昇であったが、足が地に着いているような、着いていないような気持ちで、心臓は破裂するかと思うほどの大きな鼓動がしていた。 テレビの前に座りスイッチを入れ見ているけれど、何を見ているのか、わからない。 「ねえ。私、最近、視力が落ちたみたい。年かしら。今日ね、モップを取ろうとして手を出して、2回も落としたの・・・。」 昇は、幸子の話しにも上の空だった。 一人心の中で、『どうしよう・・・。どうしよう・・・。』と呟いていた。
